確実な機能性と洗練されたフォルムの融合。工業デザインの粋。近代的・科学的美しさ。その美の根拠を問う。カントからポストモダンへ。機能美を分析する視点そのものの推移の哲理とは。そしてSinnは?
原克/早稲田大学教授。専門は表象文化論、ドイツ文学、メディア論、都市論。近著に『騒音の文明史 ノイズ都市論』(東洋書林刊)がある。著書多数。『モノ・マガジン』で「モノ進化論」を連載中。
「冷やして健康に! なぜ今日ドイツの台所は電気で冷蔵されるのか?」。食料保存は国家の命運を握る課題だ。第二次世界大戦下、「各戸に一台」をスローガンに開発された簡易型「フォルクス冷蔵庫」。国民車フォルクスワーゲンの台所版だ。(Bosch 1936?)
『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表したプロイセン王国(ドイツ)の哲学者、イマヌエル・カント(1724〜1804年)。写真左はカリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)に立つカントの記念碑。右はドイツを代表する百科事典のひとつ『マイヤー百科事典』1905~1909年刊21巻より。Photo/Shutterstock(左:Irina Borsuchenko 右:Nicku)
カントは『判断力批判』(1790年)の中で、美学的判断の独自性について分析した。
あるものを美しいと判断する基本構造とはいかなるものか、これを解き明かそうというのである。第一章「美の分析論」にはこうある。
「何か或るものが美であるか否かを判断する場合には」、「美学的判断」は、それを「一切の関心と無縁な満足(interesseloses Wohlgefallen)」「あるいは不満足によって判定する」のであり、「かかる満足の対象が即ち美と名づけられるのである」。
つまり、あるものを美しいと感じるのは、そのものからなんらかの効能を得たいという「関心」を、一切もっていないにもかかわらず、しかし、ある種の満足を感じるときのことだというのだ。
なんらかの効能への関心というのは、美の外側にあるできごとである。たとえば、快適さを求めたい(「感覚の関心」)とか、善を求めたい(「知性の関心」)とか、身体的・精神的なあらゆる効能への関心。これらはすべて美の外側にあるものだ。
要するにカントは、美とは、美の外側にあるできごとには、完全に「無関心」でなくてはならないというのである。
たとえば、野に咲く可憐な花があるとする。この花も、薬草を求める目には、薬用効果があるかないかが重要なのであり、美しいかどうかは問題にならない。なぜなら、薬用効果というのは美とは関係ないものだからだ。
だが同じ花でも、薬草摘みはひとまず小休止して、野の景色を楽しむ目には、美しいものとして映る。
可憐な花が美しいと感じられるのは、薬草として役立つかという「薬学的な関心」が、消えた瞬間にほかならない。
美が完全なる無関心性によってだけ保証されるというのは、このことだ。
ビールの主要な原材料として知られるホップは、ヨーロッパでは民間薬としても用いられている。ドイツの生産量は世界の3分の1、その80%がハレルタウにあるホップ農園で作られている。Photo/Shutterstock(nnattalli)
カリーニングラードにあるイマヌエル・カント バルト連邦大学植物園に咲くさまざまなチューリップ。Photo/Shutterstock(3点とも、Vladimir Waldin)
現在禁止されている植物保護製品。ケースにも、マニュアルにも、ラベルにもドクロマークが。劇薬であることの強調。Photo/Shutterstock(hydebrink)
上の写真はSinn特殊時計会社の創設者、ヘルムート・ジン氏(1916〜2018年)。20歳でルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)に入隊。右はパイロットとして高度な飛行技術を習得していた頃、1938年の肖像だ。1944年には総飛行距離は100万㎞以上、総飛行時間は2万時間を超える大ベテランとなっていた。その経験から飛行において、正確無比な計測装置が必要不可欠であることが骨身にしみていたジン氏。そんなワケで1961年の設立から1980年代初頭までのSinnの主力製品は、コクピット・クロックだった。
今回ここで紹介する「556.A」はコクピットクロックの系譜ともいえる文字盤を持ったリストウオッチだ。
上はナビゲーションボード・クロノグラフ「Type Nabo 25/8」。下の写真で確認すればわかる通り、同じデザインがなされている。
毎年ランキング上位の人気を誇る「556」シリーズ。「556.A」は2011年からコレクションに加わった。コクピットクロックのダイヤルデザインを踏まえており、視認性の重要な構成要素「3・6・9・12」のインデックスをアラビア数字にしている。サファイアクリスタルの風防と20気圧防水、耐衝撃性能を備えた高スペックで、サテン仕上げのケースとソリッド感の高いデザインがマッチしてオンオフ問わずに使用できるところも魅力だ。
model 556.A
ケースサイズ:直径38.5mm×厚さ11mm/重量:65g(ベルトを除く)/ベルト幅:20mm/価格22万円+税
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ムーブメントは2011年の発売から2019年の2月まで、ETA(エタ)社のCal.2824-2(自動巻/25石/28,800振動/パワーリザーブ38時間)を搭載していた。2019年3月からはSELLITA(セリタ)社のCal.SW200-1(自動巻/26石/28,800振動/パワーリザーブ38時間)を搭載している。
model 556.A.RS
「556. A」に赤い秒針を採用したモデルで、2020年春の新作。こちらも非常に人気が高い。価格22万円+税
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「流線形自動車の走行時における諸現象」。自動車専門誌が報じる真の流線形と似非流線形の違いの検証実験。「似非流線形では一切気流を制御できない」。「気流を完全に制御するには流線形を正確に成形することが必要である」。(Motor-Kritik 1936-Anfang Mai)
カントの『判断力批判』からおよそ200年後。20世紀情報社会における「大衆美学」を分析して、ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』(1979年)は、これに反駁している。
「美的立場」とは、それ自体すぐれて「自己と他者を差異化する体系」である。
美は最初から外側のできごとと連動しているというのだ。
それは、「社会空間における自らの特権的な地位」を「卓越化(distinction)」することによって、他者から距離をとる「弁別的な表現」にすぎない。このように看破しているのである。
つまり、あるものを美しいと感じ、趣味がよいと判断するのは、「それを美しいと感じる自分こそ美しい」という判断があるからであり、「そこに趣味を見出す自分こそがよい趣味の存在だ」という判断が、介在しているからだというのだ。
これは一種の「卓越化のゲーム」である。そして大抵の場合このゲームは酷薄なものである。
なぜなら、卓越化の感情というのは、自分よりも下位の社会集団にたいして、自らの卓越性を誇示するというかたちで現象するからだ。
自分の趣味は彼らの趣味とは違う。彼らの趣味のズレていることといったら、自分の趣味の良さとは比べものにならない。
自らの趣味の肯定は、他者の美学的判断を「趣味が悪い」と否定することで、成り立つからだ。卓越化とは、他者の趣味にたいする「美学的不寛容」をその存在論としている。
つまり、ブルデューにとって美とは、すでにそれを判断する段階で——社会的な差異性や格差などといった——美の外側にあるものと、分かちがたく結びついているのである。
左/イェーナ・シートルムプ社製「最高品質計測機器各種」。ドイツ金属産業新聞「エーバースヴァルダー製品総合紙」。同紙はドイツ最古の鋼鉄・金属製品・工具・家庭用品・台所用品業界紙。(Eberswalder Offertenblatt 1936-6.4)右/「製造者は誰?」。ライプツィヒ・メッセ出版局刊「工作機械・工具の購入先紹介一覧」。(Amtliches Leipziger Mess-Adress-Buch 1936)
「都会の家並みを抜け出し北海の浜辺へ出かけよう」。ハンブルク・リューベック間を結ぶ鉄道会社「リューベック・ビューヒナー鉄道」のポスター。流線形蒸気機関車に牽引される急行列車二階建て車両が疾走する。(Doppelzüge 1936)
ドイツ総合電機会社AEG製「完全間接照明式アーク灯P.L.67216型」。ドイツ工業デザインの始祖ペーター・ベーレンスによる設計。1907年。(Industriekultur Peter Behrens und die AEG D141)
フランツ・カフカ『失踪者』(1927年)に一脚の事務机が登場する。
「上等な書きもの机」で、からくり仕掛けの可変式だ。「調節器のクランクを廻せば、思いのままに分類棚の位置を変えることができる」。側壁は「ゆっくりと上下動し分類棚の底辺になったり棚の天板に変身したりする」。まさに「正真正銘の逸品」。
細部に至るまで合理性を追求した、機能主義的なこの事務机。それはプラハの旧弊から脱走した青年の目には、新世界アメリカの合理的精神そのものの体現に他ならなかった。
小説の中だけではない。現実のオフィスにも、合理化のかたちが侵入してきたのである。
1920年代サラリーマンの時代。耳目を驚かしたのは、「近代的オフィスの必需品をすべて装備した」組み立て式デスクだ。
「革張り椅子」は言うに及ばず、「書類ファイル用引きだし、区分棚、本棚、タイプライター台、電話台」を、コンパクトにまとめたキットである。「電気スタンドや足載せ台」も装着している。
すべては能率よく書類処理ができるためのデザインで貫かれている。
1920年代ワイマール共和国の合理的なオフィス風景を取材して、社会学者ジークスリート・クラカウアーは喝破した。
企業は機能主義的に「組織化しようとする経済理性」から、働く人間集団に「徹底的にかんなをかけ合理化しよう」とする。適性検査、カードシステム、速記術、タイムカード等々。あらゆる「最新の執務器」が動員されるのだ。
その結果、「帝国経済性監督局の定義からは、『人間』という単語が消去されてしまった」。おそらく「忘れられてしまったのだろう」。
工業デザインの合理性はときに人間にとり苛酷な環境を生みだす。
「宇宙船ガール?」。未来の秘書は「事務机」ではなく「制御盤コンソール」で仕事をこなす。椅子のヘッドレスト内蔵式録音機兼電話機で口述筆記。正面には「電子写真複写機画面」「マイクロフィルム投射画面」「テープ再生機」。ヘッドホン、電話、録音機、コピー機、マイクロフィッシュ。すべてオールインワンの「操作机」の登場。(Popular Science 1969-12)
「未来派的オールインワン事務机」。揺り椅子・事務机・電動タイプライター一体型デスク。椅子頭部はヘッドホン内蔵。キーボードはコンピュータ接続式。テレックス・マイクロフィルム機も装着可能。(Popular Science 1974-4)
「ヨハン・ベッケンバッハ社の鋳鉄製ベンチ脚シリーズ」。「丈夫で耐久性に富んでいる」。「公園や緑地用にお薦め」。「ネジ穴加工済みなのでベンチ厚板をネジで固定するだけ」。(Eberswalder Offertenblatt 1936-6.4)
「未来の台所『カプセルキッチン』」。料理は会話の場であるべきという伝統的な家庭観へのアンチテーゼ。水道・ガス・冷蔵庫・換気扇・電子レンジ。すべて揃った操縦席タイプの個室形式。孤立と孤独をめざす空間処理デザイン。ルイジ・コラーニ設計。(Oikos 1970’)
ベルリンのポツダム広場から望む。建設用クレーンの硬質な佇まいを赤い空がドラマチックに見せている。Photo/Shutterstock(Werner Spremberg)
美とは何か? ——カントは美の根拠を問うことで、美の認識論を展開した。
誰にとってそれは美なのか? ——かたやブルデューは、美の社会的配分を問うことで、美の権力論を展開した。美をめぐる分析もさまざまである。
20世紀初頭、ドイツと米国を中心に、工業デザインが重要な価値として論じられるようになって以来、21世紀前半まで、その文化的重要性はますます高まってきている。
こうした工業デザイン、その端正ながらも機能性あふれるフォルムを分析する。その際、カントの美の認識論もさることながら、おそらくはブルデューの美の権力論の方が、より実践的な文化批判的視点をもたらすように思われる。
なぜなら工業デザインが、人びとの前に登場したとき、その登場の瞬間から、すでにして科学的言説を論拠としながらも、神話的語り口によって、その「美しさ」が先行的に、限定されていたからである。
たとえば、「工業国ドイツならではの硬質なフォルム」。「ゲルマン的職人技の伝承が産んだ機能的デザイン」。「そして、それを選ぶのは貴方だ」。こうした語り口だ。
工業デザインの神話的隆盛を前に、ブルデューならばこう言うだろう。
立てるべき問いは、「なぜ工業デザインは美しいのか?」ではない。問われるべきは、「この工業デザインは誰にとって美しいのか?」でこそあるべきだと。
つまり、誰にとってこのデザインは美しいと感じられ、配分されるのか。それは卓越化のゲームで、つねに勝者たらんとしている者にとってではないのか。
工業デザインの美しさは、そのデザインの外側にある「趣味のよい私」にとってこそ、美しく現象するという構図だからである。
そしてSinnの機能美も、こうした美の認識論と美の権力論とのあいだを、歩んでいるのである。ただし、超然とした足取りで。
「1896年ベルリン産業博覧会アルバム豪華版」。近代ドイツ工業力が自己確認する祝祭空間の記念写真集。文筆家パウル・リンデンベルクによる詳細な解説文はドイツ産業界と伝統の技術に文明論的意味を賦与する神話的言説の典型である。(Berliner Gewerbe Ausstellung 1896)
職人がひとつひとつ石を置く。丁寧な手作業。コンスタンツの歩道の修理シーン。Photo/Shutterstock(Yuri Dondish)
エッセンのツォルフェアアイン炭鉱業遺産群は有名だが、こちらはルール地方に残る古い採掘塔。Shutterstock(HGU Foto)
職業写真家とは常に旅を続けているようなものだ・・・。
と言えば聞こえはいいが、現場ロケ地を渡り歩き、安物のパンツと靴下をその場しのぎで使い捨てる旅ガラスなのでございます。
よって愛用のカメラ機材に求めるのは軽さと丈夫さ。身にまとうウエアには乾きやすさとコンパクトさ。
そして腕時計にはタフさ。
20気圧防水、マグネチック・フィールド・プロテクションと呼ばれる80,000A/mの耐磁性能、そしてセラミックと同等かそれ以上の硬度1200ビッカースを腕時計のムーブメントとブレスレットに与えてくれるテギメント加工を施されたタフな相棒Sinn 756。世界のどこへ飛ぼうが、何年たとうがキズつくことはない時計は傷つきやすい壮年カメラマンのココロに安らぎを与えてくれる。
さあ、フライトの時間がやってきた。
織本知之/日本写真家協会会員。第16 回アニマ賞受賞。『モノ・マガジン』で「電子写眞機戀愛」を連載中。
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Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第9回
Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第8回
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