ホーチミン(ベトナム)でミリタリーウオッチを買いに行く Hunting for Military Watches in Ho Chi Minh City

アメリカとの戦火が静まりホーチミン市と名前を変えたサイゴンに、
戦争モノが山と集まるウォーマーケットあり。
それがヤンシン市場だ。

空港を出ると、まずは共産党のプロパガンダポスターが出迎える。続いてバイクの洪水だ。1ケツ single はまれで、2ケツ tandem が普通。一家全員が集合して4ケツなんて強者もいる。通りは生きるバイタリティーであふれている。

ヤンシン市場は、ベトナムがアメリカとの戦争を戦っていた1970年代に、軍が正式に放出したサープラスから、放出されてない横流し品などの軍モノ商品を扱う市場として発展した。市場の場所は、ベンタイサークルからも近いヤンシン通りにある。周囲にはアメリカ兵相手のバーや娯楽施設もあった。その時代までは、本物のアメリカ軍が使ったアイテムが並んでいた時代だ。その後アメリカ軍が撤退してからの1975年には、ベトナム政府はアメリカ軍モノはもちろんあらゆるミリタリーグッズの販売禁止を決めた。後に共産党主導の統制経済体制が敷かれると、ベトナムの経済は下降線をたどる。ヤンシン市場もその時期に軍モノどころか普通の衣類まで供給がままならずに、市場は衰退してしまった。1980年代のこの時期に、ほとんどの軍モノショップは、ヤンシンから表向きは一掃されたとされている。それなのに今、ヤンシン市場は軍モノが天をつく勢いであふれかえっている。しかも「軍モノ販売禁止」の政府による決定は、建前上、継続中のはずである。ここにベトナムの不思議がある。ヤンシン市場の場合は、謎を解くキーは「ファッションアイテム」という言葉に集約される。それでは、いよいよヤンシンの怪しいミリモノの山に、アタックをかけることにしよう。

地元ではチョー ヤンシンと呼ばれる市場の外周は、バイクに修理用工具、ネジ、クギ、扇風機やら、耕耘機までの実用マシンの店が取り巻く。一歩、内部に足を踏み入れると、国防色をしたブースが並ぶ。別名ウォーマーケットと呼ばれる各店には、ファティーグにバッグ、装備品が積み上がる。集積度は半端じゃなく、文字どおり商品の山によじ登っている店だってある。肝心のミリタリーウオッチは、ガラスケースに整然と並んでいる。たとえ並んでなくても、時計が欲しいといえば、どこからか出てくるのがベトナムのマーケットである。

中央3針の時計で、文字盤に軍で使用する24時表示を持つ。このスタイルのフィールドウオッチは、アメリカがベトナムで戦っている1960年代から70年代にかけて調達された汎用時計である。ミルスペックはMIL-W-46374を基本にしている。時代を追って、改訂版が出されている。実際にアメリカ軍に納入した時計会社には、ハミルトン、タイメックス、アルタスそしてマラソンの各社がある。

残念ながら、ブライトリングがこのミルスペックにしたがって時計を製作した事実は知られていない。つまり、このブライトリングの文字とロゴマークを文字盤に載せている時計は、ヤンシン市場にしか存在しないフェイク時計ということになる。ラディエーション表示が欠落している。ちなみに、MIL-W-46374E版からは、蛍光物質をガラス管に封入するよう規定されている。

フィールドウオッチは、特殊な機能を持たない汎用時計である。対極に特殊時計がいる。1950年代を代表する特殊時計は、ダイバーズウオッチである。ヤンシン市場でも、ガラスケースの上段に並べられている。なかでもフィフティファソムズを送り出したブランパンが、この分野をリードした。アメリカ軍ではフィフティファゾムスに1961年3 月24 日にMIL-W-221 76A(SHIPS)というスペックを作成して調達している。ダイバーズの特徴は、回転ベゼルを備えている点にある。フィフティファゾムスの同系列にあったアクアラングは、派手なダイアルデザインから、盛んにコピーされた。

 ヤンシン市場は別名「ウォーマーケット」と呼ばれている。この市場では、どこの店がどんなレアな軍用時計を持っているかだったり、米軍のユニフォームが得意といった店の紹介は無意味と化している。店に入って、ショーケースに時計が並んでいなくても「ミリタリーウオッチあるか?」と聞けば、どこかしらから手品のように、時計が必ず出てくるのだ。別にとっておきの隠し球なんかではない。実際のところ、時計だけに限らないのだ。何を聞いても、求めるモノは現われる。きっとベトナムの商売人には「ナイ」という言葉がないにちがいない。
 肝心の軍用時計だが、ここに、ヤンシン市場で実際に売られていた時計をいくつか並べた。裏ぶたを横に示しておいたが、そこにはっきりとブロードアローが刻印
されている時計がある。この記号は、イギリスが政府所有物であることを明示する記号として使ってきた。また第2次世界大戦時代に、同じくイギリス軍が用いた時計管理コードの6/Bの記号が刻印され

ている時計もある。アメリカ軍が使った時計と同一のタイプには、ストックナンバー、契約ナンバーなど、軍用時計に入れると規定された刻印が入っている。肝心のダイアルを見ると、なんとピアジェだったり、ジャガールクルトだったりする。これには唖然とする。ピアジェはスイスを代表する超高級時計メーカーであり、過去に一度も軍用時計をイギリス軍やアメリカ軍に納入した事実はない。時計メーカーの選択が、お粗末すぎるではないか。あまりに手抜かりがありすぎるのだ。裏ぶたの刻印が、念入りなだけに、よりちぐはぐ感が強くなる。そこで刻印をもう一度改めて見ると、製造年と時計タイプが合わないもの、ミルスペック番号の表記方法がそれこそミルスペックにしたがっていない時計があったりする。フェイクする時に、複数の時計を手本にしたのだろうか。
 手間ひまかけたフェイクのつくりこみぶりと、抜けているところは大きく抜けているおおざっぱ感が、ヤンシン市場に並ぶ軍用時計の正体だった。

ウオルサムの米軍用タイプA-17のコピー品。裏ぶたにはこの時計にいれられていた詳細するぎる刻印まで、忠実に再現されている。

ルクルトは第2 次世界大戦にウィームスベゼル付きの特殊航空時計をつくったが、タイプA-7のナビ時計はつくったことはない。

IWCは英米軍に時計を提供し、またオーシャン2000の優れたダイバーズもつくったが、この英政府所有矢印入り時計はコピー品だ。

エルジンは軍用時計をつくった実績がある時計会社である。これは同社が数多く製造したアメリカ軍向けの汎用時計のコピー品。

ピアジェはスイスが誇る高級時計ブランドである。この時計が模しているのは裏ぶたの矢印記号からイギリスの軍用時計である。

ベンラスがつくったアメリカ軍のジェネラルパーパス、一般用フィールドウオッチのつもりのフェイクウオッチだ。

ダイヤルに軍の24時間呼称に対応する表示があるのだから、これはフィールドウオッチであるはずだ。けれどリュウズクランプを備えているところをみれば、ダイバーズウオッチでなければならない。文字盤の径が時計ケースに適合していない点は目をつぶるとしても、文字盤にはピアジェの文字が入っているのに、時計ケースを裏返すと、そこにはパネライの文字があるのだ。表も裏もちぐはぐなら、ケースそのものが、シースルーバックとなっているところも不可解な時計になっている。

ブロードアローを刻んでいる。この矢印は、イギリス政府の官給品に付けられる印だ。6Bの文字は、イギリス空軍のパイロットとナビゲーター用の時計であることを示す記号である。それに続く346は時計会社に振られた固有の番号とされている。

分のインデックスとして、レイルウェイトラックと呼ばれる線路に似たデザインを採用している。裏ぶたには、上のフェイク時計と同様に、ブロードアローとイギリス軍空軍の時計管理コードを刻んでいる。を刻んでいる。

文字盤ではサブマリーナと名乗っている。防水性能は1000ftであるといいながら、裏ぶたではシードゥエラーであり、12800ft防水だというのだ。フェイクウオッチはそれだけで、違法であるのはいうまでもないが、さすがにこれはひどい。

パイロットとナビゲーターが使う時計は、秒単位での時間合わせが必要なことから、ハック機能が搭載されていた。そのために、スモールセコンドから中央3針へと、時計スペックが書き換えられた。このピアジェを名乗るフェイクウオッチも、24 時間表示のある航空時計となっている。

ヤンシン市場は地元ベトナムの人にとっては、工具やワークウエア類がそろう市場になっている。観光客にとっては、ミリタリーテイストのスーベニールが見つかる場所になっている。刺しゅう入りのツアージャケットや、古タイヤからつくるホーチミンサンダルも取りそろえてある。ベトコンが使ったホーローのコップなどは、エイジング加工を施して汚れまで再現している。また、民族衣装アオザイも売っている。ミリタリーウオッチに関しては、ここで本物と出会う確率は、きわめて低い。

ヤンシン市場で圧倒的な数のフェイクウオッチを見ていると、漠然とだが偽物の傾向が見えてくる。自然と目利き度がアップするかのような気がしてくる。ここで見る目を鍛えておけば、ドンコイ通りで寄ってくる土産モノのストリートベンダーへの対処も、落ち着いてできるかもしれない。

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