ブルーが描いたスリーアギトス・カラー
8月24日、パラリンピック開会式を前に、航空自衛隊のアクロバットチーム「ブルーインパルス」が東京上空を飛行しました。
天候は少々残念な曇りでした。それもかなり厚い雲が多い、場所によっては雨すら降りそうな空模様…。ですが、防衛省の事前告知を受け、時間となると、多くの方々が会社や自宅などから空を見上げました。そして、パラリンピックのシンボルである「スリーアギトス」に因んだ赤、青、緑のラインを引くブルーインパルスに声援を送りました。なお、この3色には、困難なことがあってもあきらめずに、限界に挑戦し続けるパラリンピアンが表現されています。
オリンピック関連としましては、7月23日の聖火リレー到着式にて、新宿上空付近で五輪を描いたのに続いて2回目となります。“本番”として飛行したのは、この2回ですが、それぞれ1回ずつ予行も行っており、回数でいえば4回飛んだことになります。
今回はパラリンピックでの飛行をクローズアップしましょう。
到着から予行まで
本番からさかのぼる事4日前となる8月20日。ホームベースである松島基地(宮城県)では、朝からブルーインパルスの準備が始まりました。格納庫の前に10機が並びます。SNS全盛のこの時代、早速その様子がTwitterやインスタで配信されていきます。
そして13時頃。いよいよ離陸することになりました。向かう先は入間基地(埼玉県)です。東京オリンピックの時同様、都心部に近いこの基地へと展開し、拠点とします。1964年の東京オリンピックにて、初めてブルーインパルスが代々木競技場の上に五輪を描きましたが、その時も入間基地から飛び立ちました。
最初に4機、続いて4機、最後に2機と、3回に分けて、計10機が飛び立ちました。そして13時40分ごろ、最初の4機が入間基地上空に差しかかりました。そのまま着陸はせず、なんと4機編隊にてスモークをひきながらフライパスをしてくれました。入間基地外柵にて、到着を出迎えるファンたちは大喜びです。これ以降、飛び立った順番通りに、次々と着陸していきました。
着陸後にもサービスは怠りません。パイロットたちは、タキシング中にキャノピーを開け、手を振るファンサービスも見せてくれました。
到着後、21日、22日、23日のいずれかで予行を行うと発表されましたが、正式な日程は前日に防衛省が発表することになりました。この3日間の内、天候の良い日を選ぶ、という目的のほか、遠方から東京に人が集まることを回避する狙いがあったようです。
そして、8月21日、「翌日予行を行う」とのリリースが出されました。
こうして、8月22日の予行を迎えます。この日は雲が多かったものの場所によっては青空が顔をのぞかせていました。振り返れば、本場よりも天候は良かったです。飛行コースも事前に発表されていたので、みな思い思いの場所で予行を見守ったようです。日曜日と言うこともあり、SNSを拝見すると、ご自宅のベランダからご家族で見た、という方が多かったようにも見受けられました。
予行もトラブルなく無事終了しました。
8月22日の予行。雲は厚かったが、予行を実施。東京タワーや東京ドームの上を飛行した。
これで最後となるのか!?
本番となる8月24日、前述のようにカラースモークにて見事な飛行を見せてくれました。繰り言を言うようで恐縮ですが、これで天気さえ良かったら…。
では、次こそ期待したいところですが、ある空自幹部は、「これでしばらく都内上空を飛行することはないでしょう。もしかしたら、2度とないかもしれません…」と語ります。
実は、都心部を飛行するのは様々な制約があり、簡単なことではないのです。今回のように各所を飛び回るためには、国や東京都のバックアップ、なにより国民の理解が必要です。
オリンピック関連飛行の前に、いつブルーインパルスが都心を飛行したか振り返ってみましょう。
近いところでは、昨年のことになります。2020年5月29日、コロナと戦う医療従事者たちへの敬意と感謝を表すため、飛行しました。多くの人々に感動を与えてくれました。
では、それ以前は…?
それは2014年5月31日のことになります。国立競技場を建て直すにあたり、「SAYONARA国立競技場FINAL “FOR THE FUTURE”」というイベントが行われました。これに合わせ、ブルーインパルスが都内上空を飛行しました。こちらは予行も1回行われました。
こうしてみると、「なんだ、意外と飛んでいるじゃないか」と思いますよね。実は、この2014年より前が、1964年の東京オリンピック開会式なのです。50年もの開きがあるのです。
次はいつ、我々は東京タワーやスカイツリー上空を飛ぶブルーインパルスを見ることが出来るのでしょうか……。