卓越化の論理というジレンマ。階級なき階級社会における新たな階級闘争のかたち。それが趣味の闘争だ。審美的価値の位階制度。大量消費社会が生む均質化・均一化という仮構の世界。その虚構性を透視しなくてはならない必要性とは。
原克/早稲田大学教授。専門は表象文化論、ドイツ文学、メディア論、都市論。近著に『騒音の文明史 ノイズ都市論』(東洋書林刊)がある。著書多数。『モノ・マガジン』で「モノ進化論」を連載中。
「グレイの革製キャップに深紅の革製ジャケットで目を見張るコントラストを演出しましょう」。ファッションアドバイス記事「ドライブに欠かせない小物」。高級ファッション雑誌『ジルバー・シュピーゲル(銀の鏡)』がハイセンスな神話を仕掛ける。(Der Silberspiegel 1936-2.17)
ポツダム広場に設置されたルネッサンス期の女性像。官能的な水浴のシーン。Photo/
Shutterstock(Oleg Senkov)
現代は大衆社会の時代である。すべてが均一化し、商品化し、規格化された時代と言いかえても良い。
たとえば、今秋のモードは暖色系のパンツで決まり。最新型の人気車といえばSUV。一度は行きたいイタリアンの店。行列ができるラーメン店。人生の夢は郊外の一戸建て。
こうした消費財で組み立てられた、便利で、明るく、素敵なモダンライフ。
誰もが似たような服を着て、似たような食生活をし、同じような家に住み、同じような生き方をする。灰色の人間たちの群れ。
だから、大衆の波に埋もれ、粒だった個人が見つけにくい。他者との差異が見えにくくなった。そんな時代である。
しかし、そんな大衆社会の時代であっても、人びとは生きてゆかねばならない。なにかをよすがとして、他人とは違う自分自身の道を。
困難な道である。そもそも、そんな道が可能なのかどうかも分からない。
こうした錯綜した事態を分析して、社会学者ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』(1979年)は、「卓越化」(distinction)という概念をもちだす。
卓越化とは、「他者から自分を区別してきわだたせること」である。一体、これは何なのか?
フランスの社会学者で、哲学者のピエール・ブルデュー(1930〜2002年)。研究分野は幅広く、哲学、文学理論、社会学、人類学など。Photo/Jacques Rutman
Sinnの原点であるパイロット・ウオッチのひとつとして、1974年に最初のモデルが登場した144シリーズ。Sinnのコレクションの中でも伝統的な自動巻きクロノグラフで、さまざまなバリエーションが作られてきた。今回紹介するのはSinn創立60周年記念モデルで、世界限定600本の「144.ST.S.JUB.II」だ。
144の初期シリーズは5気圧までの防水性能しか備えていなかったのが、この60周年モデルは除湿機構のArドライテクノロジーやケースのブラック・ハード・コーティングといったジン・テクノロジーの採用や、20気圧防水と負圧耐性、両面無反射サファイアクリスタルを備え、耐久性がアップグレードされている。
また、創立60周年を象徴させるように、タキメーターと組み合わせたパルスメータースケールの「60」の数字には朱色の蛍光塗料が塗布されている。
model 144.ST.S.JUB.II
ケースサイズ:直径41mm × 厚さ14.5mm/重量:90g(ベルトを除く)/ベルト幅:20mm/価格63万8000円(税別価格58万円)
Sinn Official Webへ
ビーズブラスト加工されたマット仕上げの904Lステンレススチールケースとブレスレットには、「テギメント+ブラック・ハード・コーティング(PVD)」を施している。
テギメントとは、窒素を使用した浸炭加工を時計のケースに施すことにより鋼材の表面に炭素分子を拡散・浸透させ、焼入れして硬化させる技術。
さらに同程度の硬度であるブラック・ハード・コーティング(PVD)を施しており、ドライバーで引っ掻いても傷が付くことがない。また、いわゆるエッグシェル現象を防止し、PVDが剥離することもない。
高い装着感が多くのユーザーに評価されているシリコンベルトもセットされている。ちなみにシリコンベルトのバックルはテギメント+ブラック・ハード・コーティングになっている。
リューズはねじ込み式で、プッシュボタンはガード付きになっている。
時計を湿気から守る除湿機構の「Arドライテクノロジー」を採用。これは「ケース内の湿気を吸収するドライカプセルの搭載」、「時計ケース内に希ガスと呼ばれる極めて安定したプロテクトガスの充填」、「通常のパッキンより水分浸透を最大で25%削減するEDRパッキンの採用」という3つの技術的要素により、ケース内をほぼ無水の環境とする。
限定ボックスに本体、バックル付きシリコンベルト、ベルト交換工具、予備のバネ棒2本がセットされていて、取扱説明書の小冊子も付属する。
「貴方の足下をエレガントに」。「靴墨エクラは非油性、非酸性で皮革を痛めない」。「黒色もカラーも選べます」。琺瑯看板製造会社ハインリヒ・ペータース製の靴墨広告。1915年製造。(Emailschilder 2003)
頭部の「かたち」を計測する「可塑度計(プラストメーター)」。「ベルリン某研究所」の「頭部の次元を計測し弱点を発見する装置」。半円形の計測ゲージに沿って「計測尺」をスライドさせ当該部位の曲率を測る。計測結果により被験者は記憶力や集中力を高める訓練コースを受講する。(Popular Science 1932-1)
「卓越化」とは、「他者から自分を区別してきわだたせること」である。一体どういうことか?
簡単に言えば、卓越化とは、もっぱら審美的意味において、自分はあいつとは違うという思いのことである。その違いはどんなものでもよい。
趣味の違い、考え方の違い、異性の好みの違い、ファッションの違い、好きな食べ物の違い。それこそなんでもよい。
自分と他人とを、審美的レベルで差異化できさえすればよいのだ。
だが、これは個人の想念にすぎない。ところが、この個人的な思いにすぎない「卓越化」が、総体として、社会全体の「階級分化」と「既成階級構造」を維持する「基本原理」になる、というのだ。
それはどうしてか? それは次のような理由による。
審美的レベルで生みだされる差異化というのは、水平方向において起こるのではない。垂直方向において起こるのだ。
単に、自分の音楽の趣味と、あいつの音楽の趣味が「違う」というのではない。そうではなくて、自分の趣味の方が、あいつの趣味よりも「優れている」という方向で「違う」というのである。
同じ次元における、同列としての違いではなく、位階制度における、縦方向での違いなのである。
言ってみれば、趣味のランキングで自分の方が、つねに「上位にある」という意識だ。
要するに、自分の方が「趣味が良い」という思いといえる。
ジャンダルメンマルクト広場にて。左に見えるのが音楽堂コンツェルトハウス。中央に建つのがフランス協会。ベルリンで最も美しい広場といわれている。Photo/Shutterstock(Head over Heels)
左/「ダンス・ステップ電動計測装置」の正面画像。発明者は人気舞踏家ヴァルター・カルロス(右)。謳い文句は「ヴァルター・カルロスに倣って電気で踊ろう」。(Umschau 1931-12.12)
右/「ダンス・ステップ電動計測装置の内部構造」。小さな矩形が「ステップ・シューズ」で細い円筒形ランプにより点灯される。中央部の電動モーターで電光掲示盤全体が回転運動する。(Umschau1931-12.12)
「電気で踊ろう」。
ドイツを代表する啓蒙科学雑誌『科学技術総覧』1931年12月12日号は、新時代を告げている。「電気で踊ろう」という記事だ。大衆の娯楽であるダンスも、科学の時代になってきたというのである。
今般、ラジオ番組で人気のダンス教師ヴァルター・カルロスが、科学の時代にふさわしいダンス・ステップの訓練装置を考案した。
名称は「ダンス・ステップ電動計測装置」という。ダンスフロアー用に作られた大型装置だ。
モーター駆動で正面の円形表示盤に、ステップがシューズの形で電光掲示されるようになっている。ファースト、セカンド、サードステップと・・・・次に踏みだす位置が連続して点灯してゆく。
どんな新しいステップでも、点滅しているシューズの位置に足を運ぶだけでよい。ペアで踊っても、正確に調子を合わせることができる。
電光掲示盤のステップに合わせるので、さながら機械装置と人間が「リモコン操作」されているように見える。
旧来の「ステップ表示シート」とは違い、絨毯のように床に拡げるタイプではない。だから空間的自由度が高い。どんなに広いフロアーでも、好きな場所まで制限なく移動することができる。
さらに蓄音機と接続すれば、レコード音楽に乗って正しいステップを楽しむことも可能だ。
19世紀末以来、都市の大衆文化人気ナンバーワンを誇ったダンス。20世紀初頭、大衆社会の成立とともに、機械仕掛けのステップが、新時代にふさわしい「都会風の趣味」と評判を呼ぶようになっていった。
ダンスという身体表象もまた、機械化の時代、モダンさをめぐる卓越化のサイクルに組みこまれてゆくのだった。
人気娯楽グラビア雑誌『コラレ』もダンスブームに合わせて特集「ダンスABC」を組む。プロダンサ
ー、エヴェリン・キュネッケが「ステップの基本」を実演してみせる。(Koralle 1941-2.16)
「応用された技巧の六拍子ステップ」。「非常に複雑だがとてもエレガントなステップ」。プロのステージダンサー級の技術が必要。「ステップごとの正確なメリハリが重要」と謳う。カーター=フェーンレ実演。(Koralle 1941-2.16)
米国の人気ポピュラー系科学雑誌『ポピュラー・メカニクス』1931年8月号も外信として報じる。ステップには「右足15」「左足16」「右足17」と連番号が振られている。(Popular Mechanics 1931-8)
左/「伸縮性コルセットでいつも快適に美しく」。ハンブルク・ヴァルナ-社製。(Die neue Linie 1939-6)中/厳選された高級人工絹糸バチスト製「ワンピース型補正下着フェリーナ」。(Die neue Linie 1940-1)右/
「魔法のように貴女の体をピッタリと軽やかに包みこむ」。マンハイム・フェリーナ社製。(Die neue Linie 1941-11)
ドイツ広告業界を代表する有名なアイコン「白衣のレディー」。総合化学企業ヘンケル社製合成洗剤「ペルジル」の商標キャラクター。純白の清楚な立ち姿がモダンな純潔性神話を生んだ。1922年クルト・ハイリゲンシュテット作画による伝説的図像。(Emailschilder 2003)
趣味のランキング。ここで見逃してはならないのは、趣味の良さの違いという思いが、つねに、自分よりも「下位」の社会集団に対して向けられるという点である。
自分よりも「上位」の者に仕掛けられることはない。そんなことをすれば、結局のところ、自分の方が趣味が悪いという事実を、認めることになるからだ。
つまり、卓越化というのは、もっぱら審美的判断を基準にして、ある社会集団を自分より「下位」に置くことによって、ひるがえって、自分を仮想的に「上位」に置くことを可能にする表象システムである。
言いかえれば、卓越化とはそれ自体、文化的権力闘争であり文化的階級闘争なのである。
なぜなら、時代は大量消費社会だからである。
一方で、大量生産され一見「均質」に思われる製品を、「平等」に入手することができる市場環境が完成してしまったからであり、他方で、大量の情報を「平等」に消費できるメディア環境が整ってきたからだ。
つまり、物質的な消費生活にしても、情報という理念的な消費生活にしても、仮想的な平等と均質化が実感されるようになってきたからだ。
むろん、それでいて、経済的格差や社会的階級差は厳然として存在している。
つまり、階級構造はあいかわらず存在しているものの、誰しもがモダンライフの暮らしぶりで、差異が見えにくくなった時代になってしまったのである。
階級が見えにくくなった階級社会。そんな時代の階級闘争。これが卓越化の存在理由だ。
Sinnの審美的価値は孤高のものである。そして、その孤高さが真の気高さであるためには、大量消費社会の卓越化の論理を超越し、かろやかに凌駕してゆく必要があるだろう。
「欠かせない相棒」。「見た目だけでなく着心地も良い春のオーバー」。「誰をも惹きつける服飾店ケルン・リンネルヴェーバーにてお求めください」。1937年ポスター画家の巨匠ルートヴィヒ・ホールヴァイン作画。(Emailschilder 2003)
普段からいざというときのために火打石や仕留めた獲物をさばくためにナイフの1、2本を忍ばせておく・・・なんていうロマン溢れる周到さを持ち合わせておらず、さりとて空いた時間にはマックを広げてカフェでメールの返信やらブログの更新してます、キリッ!・・・などというノマド気質もないごく普通の男子であれば、ポケットに入れるのはスマホとカード、ひとつかみの紙幣と満タンにした愛車のキーで必要かつ十分。
「粋」という言葉には私たち日本人はたいそう弱いもんであります。また「野暮」なんて言われたらもうあたしどうしたものやら途方に暮れちゃう、という弱いトコロもございます。どうもこのへんに我々日本人の美意識というモノを理解するヒントがあるようですな・・・。
で、粋な食い物の代表格といえば寿司。まず白身から初めて光物、次いで赤身そしてトロ、だめだよお前さんそこでタマゴなんか頼んじゃ、こういうトコロじゃ貝、煮物だよ。で、巻物を頂いて最後にタマゴで〆るのが粋ってもんじゃないか・・・なんてウルサイことをわいわい言ったり言われたりするのを楽しめるってのも粋。
そんな大人たちが楽しめる場所で仲間に「いまなんどきだい?」なんて聞かれたときにチラッと覗くSinn 756の小粋なことよ。904L テギメント加工された落ち着いた雰囲気のステンレススチールのベゼルとブレスレット。針がどこを示しているのかひと目でわかるコクピットクロックの視認性を備えた文字盤。さっぱりとして垢抜けた、この上品な色気を持った腕時計の佇まいはまさに粋でイナセでありました。
織本知之/日本写真家協会会員。第16回アニマ賞受賞。『モノ・マガジン』で「電子写眞機戀愛」を連載中。
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