現代は科学の時代だ。が同時に神話の時代でもある。なぜなら情報大量消費社会の時代、科学は神話的に語られることを免れないからだ。科学を語るとき科学以外の価値をまぎれこませる。バラ色の未来を強調するあまり不確定要素を隠蔽する。科学神話の功罪は計り知れない。
原克/早稲田大学教授。専門は表象文化論、ドイツ文学、メディア論、都市論。近著に『騒音の文明史 ノイズ都市論』(東洋書林刊)がある。著書多数。『モノ・マガジン』で「モノ進化論」を連載中。
左/オリンポスの神々の王、ゼウス。右/ヘパイトスの仕事場から盗んだ火。それを掲げるプロメテウス。Photo/Shutterstock(左:Zwiebackesser、右:Dmitry Dolhikh)
ギリシア神話は火の起源について語っている。
人間は、神の王ゼウスの怒りによって「火」を奪われ、寒さにふるえる運命を負わされた。それを哀れんだ神プロメテウスが、火山の神ヘパイストスの仕事場から火を盗み、人間に与えた、爾来、火は文明の礎として人間のために役立つこととなった。
プロメテウスの火、ゼウスの怒り、火山の神ヘパイストスの仕事場・・・・・・
いずれも古代の説話世界をいろどる、絢爛たるスーパースターたちである。
だが今日、神話を真実だと思う者はいない。なぜなら、すべて合理性を欠いた荒唐無稽なフィクションにすぎないからだ。
それにひきかえ、近代的合理性、数値的正確性、科学的検証可能性などなど、現代とは科学とファクトの時代である。だから、現代は神話とは無縁な脱神話化の時代である・・・・・・
誰もがそう信じている。しかし、それは間違っている。現代もまだ神話の時代なのだ。
そう喝破したのは、文化記号論の始祖ロラン・バルトであった。
バルトは「今日における神話」(1956年)で言っている。「神話には形式の限界はあるが内容の限界はない」。これはどういうことか?
上/エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置するギリシャのサントリーニ島。火山の大噴火によって形成された、その全景。中左/火口付近。中右/島の最西端に立つアクロティリ灯台。下/旧港アモウディ。Photo/Shutterstock(上:smoxx、中左:artistique7、中右:mairu10、下:kavalenkava)
今回紹介するのは2021年12月発売予定、世界限定100本シリアルナンバー入りの「1800.S.GG.DAMASZENER」。その第一の特徴は、年輪を思わせる有機的な美しいラインが入ったダイヤルとケース、その風貌にある。
model 1800.S.GG.DAMASZENER
ムーブメント:SW300-1(自動巻/25石/28,800振動)/機能:時・分・秒(センターセコンド)、デイト表示/ケース:ダイヤルと一体型のダマスカス模様の積層鋼材(PVD加工+テギメント加工)/ベルト:カウレザーストラップ(色違いのカウレザーストラップ1本付属)/風防:両面無反射サファイアクリスタル/リューズ:ねじ込み式/裏蓋:ダマスカス模様の積層鋼材(PVD加工+テギメント加工)、ねじ込み式/防水性能:10気圧防水/負圧耐性/ケースサイズ:直径43mm×厚さ10.4mm/重量:78g(ベルトを除く)/ベルト幅:22mm/税込価格176万円(税別価格160万円)
Sinn Official Webへ
まずは、この趣ある独特な風貌を全角度から存分にお楽しみいただきたい。
“DAMASZENER”=「ダマスカス」。古代インドで開発されたるつぼで製鋼した木目状の模様を特徴とする鋼材を、シリアのダマスカスで刀剣の製造などに使用していたことに由来する通称だ。現在では異種の金属を積層鍛造し、この独特な模様を浮かび上がらせた鋼材にもこの通称が使われている。
「1800.S.GG.DAMASZENER」はダマスカス模様の積層鋼材に、耐傷性の高いテギメントをベースとしたブラック・ハード・コーティングを施すことにより、セラミックと同等以上の1500ビッカースの硬度を誇る。つまり、ドライバーで引っ掻いても傷つくことがない(そんなこと怖くて絶対できませんが・・・・・・)。
さらにはこの有機的なパターンを強調するため、ケースとダイヤルを一体型にした。これによりパターンは途切れることなく続き、独特で趣のある風貌を作り出すことに成功している。
2000年もの歴史を持つ鍛造技術を進化させ現代に継承する、ジンの長年にわたるパートナー、BALBACHDAMAST(バルバッハダマスト社)無くしては、このダイヤル一体型ケースは誕生しなかっただろう。
尾錠やリューズにもダマスカス模様の積層鋼材を使用し、テギメントをベースとしたブラック・ハード・コーティング仕上げを施す念の入りよう。
表面に現れたレイヤーは人工的に刻んだではないため、ひとつとして同じ模様のケースは存在しない。
有機的なレイヤーを持つ風貌とレザーストラップの相性は抜群にいい。ブラウンとブラックの2色を付属。どちらを付けるか、ここが悩みどころだ。
ダマスカス模様によく馴染んだ木製ボックスを付属。中には本体をはじめ、ストラップ1本、ベルト交換工具、予備のバネ棒、エッシェンバッハ製時計用ルーペ、ポリッシュクロス、カタログが収められている。
「コイン式家庭用ガスレンジ」。ベルリン・ガス公社の宣伝広告。1901年。家庭で使う分だけコインを投入する方式。料金徴収システムの黎明期に誕生した試行的アイデア。都市インフラの普及にはガス使用料の数値的確定装置が欠かせなかった。(Ortmann 1901)
考古学的文化遺産をプリントしたドイツの切手シリーズ。1段目/ケルトの銀の首輪。2段目/ローマの金のゴブレット。3段目/戦車を象ったブロンズ像。4段目/ケルトの金で装飾されたボウル。Photo/Shutterstock(1段目:zabanski、2段目と3段目:Zvonimir Atletic、4段目:Yavuz ILDIZ)
現代は神話の時代である。
バルトは分析する。神話とは語りの「形式」のことであって、語られる「内容」のことではない。
決して、「神話的な内容」と「神話的でない内容」という違いが存在するのではない。そうではなくて、いかなる内容の物語であれ、「神話的な語り口」と「神話的でない語り口」の違いがあるだけだ。こう言うのである。
要するに、同じ内容のストーリーであっても、語り口ひとつで、その物語が神話にもなり、神話でない物語にもなる。こういうことだ。
「神が火山から火を盗み、人間に与えた」。荒唐無稽のフィクションだ。
しかし、ここで神話的なのは内容なのではない。内容はおそらくきわめて史実にもとづいたファクトであるに違いない。つまり、「いつの頃か先史時代、人類は火を手にするようになった。それ以来、人類は文化をはぐくみ文明を生みだした」。
言われている内容はこのこと以外にはあるまい。まっとうな仮説である。荒唐無稽とは無縁だ。
しかし、ファンタジー溢れた語り口が、この物語を考古学的仮説にではなく、神話に仕立てあげているのである。
上/「電気メスでステーキを焼き切る」。「10万ボルト」の高周波電流による「新型調理器具」。「ほとんど出血することなく」人間の組織を切開することができる電気メスの基礎研究。(Wissen & Fortschritt 1928-8)
下/「ワンタッチで開く雨傘」。支柱内部に傘が「折り畳まれている」。グリップのボタンを押すだけで自動的に飛
び出す。(Popular Mechanics 1970-8)
「紙製牛乳『瓶』」。新型の紙製牛乳パック登場。「トウヒ繊維製の円錐形容器」を「パラフィンでコーティング」。底部は直径8cmの円形で高さ20cm。42gと「軽量で密閉式」。最初の考案は米国発。(Scientific American 1929-4)
健康的な暮らしに牛乳は欠かせない。20世紀初頭、大都市の発生とともに、牛乳配達システムが誕生したのも社会的要請があったればこそだ。
だが牛乳ビンは割れやすい。それに回収して再利用するので、食品衛生上も徹底した洗浄と殺菌をせねばない。コスト高につながった。かなり慎重を期さなくてはならず、やっかいなアイテムだったのである。そこに届いた福音が紙製牛乳パックだった。
ドイツの有力科学雑誌『科学技術総覧』1929年11月26日号がこれを伝えている。
表面にパラフィン被覆をした紙製の牛乳パックが発明されたというのだ。
紙製牛乳パックは「ガラス製牛乳ビンより多くの利点を持っている」。「まず洗浄しなくてよい。次に紙製容器の方が、ガラス瓶よりも牛乳を冷保存できる」。
更に、もっとも重要なのは衛生面で優れているという点だ。
「搾乳工場で充填直前に紙製容器が製造される」。つまり、「容器の製造と充填と封印がひとつの作業工程で行われるので」、「雑菌が混入する危険性が取り除かれる」。
なにより衛生的な牛乳を家庭に送りとどけるには、紙製牛乳パックの方が優れている、というわけだ。
産地から遠く離れた都会の隅々にまで、毎日、新鮮なミルクを迅速に配達する。衛生的なミルクで、健康で清潔なモダンライフを送る。それもこれも、すべて科学技術が可能にしたものだ。
こう告げる科学雑誌の筆致は、ただただアカルイ未来を謳いあげているようだ。
むろん、使い捨てる紙資源の廃棄問題や再利用問題。あるいは、製紙工程で紙を漂白する脱墨技術が引きおこす環境問題。これらが明確になるのは、ようやく後年になってからのことではあるが・・・・・・
科学雑誌の語り口は、客観性と合理性に徹した論法であるだけに、そこに潜んでいる神話構造を見つけ出すのは、なかなか難しいものである。
左/「紙製の軽便牛乳器」。日本の科学雑誌も速報する。「毀れる危険」もなく取り扱いも「極めて便利」「新鮮の美味の儘六週間」「保存し得る」。(科学画報 1929-12) 右/ドイツ国産「紙製牛乳瓶『ライプファールト容器』」。米国製の「パラフィン加工」とは違い「中性植物繊維性」なので「健康被害がない」。(Umschau 1930-4.5)
旅客機会社の国内線出発前のサービス。飛行機酔い防止のため「紙製パック」で牛乳を航空会社が搭乗前に無料で提供する。紙パックは取り扱いが簡便で清潔。(Popular Science 1932-5)
「紙製牛乳『瓶』。大企業を揺るがす牛乳配達の新改良」。新型の紙製牛乳パックの生産ライン。「耐久性」にすぐれ「あわてて牛乳を飲み干す必要はない」。低温殺菌を施した「日付」がシール上に印刷。(Scientific American1929-4)
「稼働する紙製牛乳パック大型製造器」。8時間で40000本製造。小型製造器は6000本、中型は15000本。紙製パックの利点は「衛生的」。「一旦開封すると二度と封ができないので二度使い不可能」。「だから中身はいつも殺菌牛乳だ」。(Kölner Illustrierte Zeitung 1930-2.1)
「驚異的な新発明『魔法の眼』」。テレビ受像機に内蔵された「光電管」が室内の照明を感知して「コントラストと明度を自動的に調節して理想的なテレビ画面の明るさにしてくれます」。メッツ社製。(50 Jahre Deutsches
Fernsehen 1959)
「視点測定器」の構造。角膜からの反射光線は2枚のレンズを通過しフィルムに達する。目が静止状態だとフィルム上の光点は直線を描く。少しでも動くと直線からずれる。ズレの幅から視点を算定。左右2個の光点を総合して「視線曲線」を得る。(Koralle 1939-7.23)
神話とは内容を問わない。
いかなる内容であっても、語り口ひとつで神話にもなり、神話でなくなりもする。
ということであれば、何を語っても語り口ひとつで神話になる、ということだ。つまりは、科学を語っても・・・・・・
プロメテウスの逸話がそうであったように、神話とは、たかだか文化(人間)が作ったものを、あたかも自然(神)がなした業であるかのように、言いくるめる語り口のことである。
そもそも、人間が作るものとは、偶然をはらみ、つねに可変的で、うつろいやすい。それに対して、自然(神)がなすものとは、人智も及ばず超然としており、超越的である。
つまり、文化(人間)の作為と自然(神)の超越性。もろく壊れやすい文化と、永遠に盤石な自然。こうした二項対立のイメージを語ってみせる。そうすることによって、文化がもつ脆弱性を隠蔽し、自然のものとされる永遠性・超越性と二重写しにしてみせる。
とどのつまり、あやふやなものを、なにか立派なものだと言いかえる。これが神話の正体だ。
21世紀、科学なしには立ちゆかない時代である。そんな現在、科学と社会の関係は不安定化する危機をつねにはらんでいる。
だからこそ科学を語るとき、ひとは科学の神話化に自覚的でなくてはならない。そして神話化が避けられないことだとしたならば、せめて、隠蔽する神話にではなく、開明し、明示する神話にならなくてはなるまい。
それはSinnを語るときにも変わらない。
超越的なドイツの絶景。上/ベルヒテスガーデン国立公園のヒンター湖の秋景色。バックにバイエルンアルプスを望む。中/ベルリン周辺。田舎の小さな入り江。下/アルプスで最も古い保護区域のひとつ、ベルヒテスガーデン国立公園。Photo/Shutterstock(上:Andrew Mayovskyy、中:Mickis-Fotowelt、下:Boule)
こちらの剣呑な雰囲気を醸す腕時計EZM1。ドイツ語の「アインザッツ・ツァイト・メッサー(EINSATZ ZEIT MESSER)」の略称EZM。「出撃用時刻計測機器」という意味を持ち、トップレベルの特殊部隊のひとつであるドイツ関税局中央支援グループZUZのために開発された精密機器レベルの頑丈なクロノグラフなのです。一瞬を争うシビアな条件下において瞬時にタイミングを把握できるための視認性が開発の絶対条件とされ、最終ユーザーであるエキスパート隊員、Sinnのエンジニアたちが協力して完成したプロのためのミッションウォッチなのであります。
もうこれだけでミリタリー成分強めの男子としてはこのEZM1で時間を確認するたびに胸が高鳴るワケなのであります。
さて、この初代EZM1の系譜は、今でも「使うためだけの時計」としてシンプルにタフネスなEZMシリーズとして脈々と受け継がれているのです。現代のテクノロジーで制作されたEZM3なんてモデルは特殊部隊の使用目的や必要とされる機能にフォーカスを絞って、ヒューマンエラーを排除するためのデザインと機能性、過酷な使用条件に耐えぬくタフネスさを追及し、80,000A/mという防磁性能、除湿機構ドライテクノロジー、氷点下45℃から+80℃という温度差での精度を保つための特殊オイル、逆位置のリューズなどを採用して、これこそまさに計測機器。防水性能も500mまでの耐圧性能、耐熱性能、機能を備えているのです。そんな過酷な条件下に絶対に行かない僕なんかはもうそのスペックの腕時計を嵌めただけで気分に浸れるのです。カッコいいなあEZM。
織本知之/日本写真家協会会員。第16 回アニマ賞受賞。『モノ・マガジン』で「電子写眞機戀愛」を連載中。
■Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 連載記事 アーカイブ一覧
Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第9回
Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第8回
Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第7回
Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第6回
Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第5回
Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第4回
Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第3回
Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第2回
Sinnはどこから来て、どこへ行くのか? 第1回