現代ドイツデザインの色彩には、ゲルマン民族以来、歴史の中に堆積してきた色彩の象徴学が潜んでいる。色彩は理念の表徴であり、ときに激しい文化闘争の舞台となる。その記号性がもつ神話圏は深淵だ。Sinnの色彩の哲理とは。
原克/早稲田大学教授。専門は表象文化論、ドイツ文学、メディア論、都市論。近著に『騒音の文明史 ノイズ都市論』(東洋書林刊)がある。著書多数。『モノ・マガジン』で「モノ進化論」を連載中。
「帝国を浄化しよう!」。1928年ドイツ民主党の帝国議会選挙ポスター。民主主義を象徴する三色「黒・赤・黄金」の楯で右翼・極右政党・ナチ党と共産勢力を排除する構図。ワイマール時代の与党。(Anschläge 1973)
ドイツの色彩は政治学である。国旗の三色(トリコロール)も激しい思想闘争の場であり続けた。
ドイツの歴史は分裂の歴史だった。1871年の帝国統一まで、数百の諸邦に四分五裂し近代国家とは呼べないありさまだった。20世紀も、ベルリンの壁により東西ドイツに分割された。
統一国家は、つねにドイツの見果てぬ夢だったのである。
だからこそ、かつて中世において、ほぼ中部ヨーロッパ全域を支配していた幻の大帝国、神聖ローマ帝国は、ドイツの夢の象徴であり続けた。
12世紀、神聖ローマ皇帝に、ドイツの「赤髭王・バルバロッサ」が就いたとき、その戴冠式に使用されたのが、三色「黒・赤・黄金」の絨毯だった。
戴冠式の後、三色の絨毯は切り分けられ、列席した各諸侯に授与された。人びとは、この三色の布切れを槍の先に付け、「三色旗」として帝国の統一を祝った。
それ以来、黒・赤・黄金は、「暗闇(黒)から、血(赤)の闘争を経て、光り(黄金)ある未来へ」と読みかえられ、統一国家の象徴となり、くりかえし帝国誕生の物語が語り込められることとなった。
「デンマーク王ヨハンの娘エリザベスと夫君ブランデンブルク選定侯ヨアヒムI世大老の同盟紋章図」の「デンマーク王クリスチャンスIV世の家系図四枚組」の内の三枚目。赤色・白色・黄色は家系を証するシンボルカラー。油彩。1610年頃。(Berlin Berlin 1987)
今回紹介する「モデル6000」はSinnがフランクフルト経済振興協会の要請を受け、1999年に発売された。開発コンセプトは、3大証券取引所のフランクフルト、ニューヨーク、東京の異なる3ヵ所の時間を瞬時に知ることだった。
ドイツのコール元首相やフランクフルト市長だったぺトラ・ロート女史、連邦銀行総裁、フランクフルト証券取引所社長など、金融、証券、政界のトップに立つ人たちに贈呈され愛用され続けている。
model 6000
ムーブメント:SW500改良型(自動巻/26石/28,800振動)/時・分・秒(スモールセコンド)/クロノグラフ(30分積算計、12時間積算計)/12時間表示式UTC(デュアルタイム)機能/ダイヤル外周の回転ベゼルによる第3時間帯表示/デイト表示/ケース:ステンレススチール/ベルト:ステンレススチールブレスレット(カーフストラップ1本付属)/風防:両面無反射サファイアクリスタル/リューズ:非ねじ込み式/プッシュボタン:ガード付き/裏蓋:サファイアクリスタル、ねじ込み式/防水性能:10気圧防水/負圧耐性/ケースサイズ:直径38.5mm×厚さ15.5mm/重量:74g(ベルトを除く)/ベルト幅:20mm/税込価格68万2000円(税別価格 62万円)
左がフランクフルトの証券取引所。右上はその正面に立つ雄牛と熊のモニュメント。金融市場における強気市場(雄牛)と弱気市場(熊)を表す伝統的なシンボルだ。右下はモニュメントの下のプレート。
このフランクフルト経済振興協会の要請を受けて開発されたファイナンシャル・クロノグラフは、時間表示の針以外にセンターに単独で操作可能な第2タイムゾーン表示針(UTC)を備え、ダイヤル外周の12時間表示の回転リングで第3タイムゾーンを設定することが可能だ。
以下にその3つの時間の読み方を図解する。
現在時刻は、通常通り時針と分針で読み取る。例では10時8分。
第二時間帯は矢印形状のUTC針と分針で読み取ることができる。UTC針の設定は巻き上げリューズを使う。UTC針は1時間刻みで動く。
第三時間帯は、ダイヤル外周の回転ベゼルで読み取る。この設定には10時位置のリューズを使用し、1時間刻みで回転させる。<=”” p=””>
そして、ムーブメントのローターにはフランクフルトの摩天楼の模様が手彫りでエングレービングされている。1999年に発表されたときと、22年が経ちムーブメントを変更した2021年製では、ローターに刻まれたフランクフルトの摩天楼にも変化が見られる。20数年も経てば摩天楼が風景変わるのも当然か。
左は1999年に発表されたときのムーブメントで、ETA(エタ)社のCal.7750改良型。右は2021年製で、ムーブメントがSELLITA(セリタ)社のCal.SW500改良型に変更されている。
そして、文字盤のSinnのロゴの下にプリントされている文字 “FRANKFURT AM MAIN” に注目したい。この文字はSinnの本来のロゴの下にも付けられている。
一般に通称されるフランクフルトはヘッセン州にあるドイツの中心都市のひとつで、正式にはフランクフルト・アム・マインという。「マイン川沿いのフランクフルト」という意味だ。ご存知の方も多いかもしれないが、ドイツとポーランドの国境沿いにあるブランデンブルグ州にもうひとつフランクフルトがある。こちらはフランクフルト・アン・デア・オーダー(FRANKFURT AN DER ODER)。意味は「オーダー川沿いのフランクフルト」。このふたつのフランクフルトを区別するため、それぞれ川の名前が添えられているのだ。
フランクフルト・アム・マインの夕景。Photo/Shutterstock(Rudy Balasko)
フランクフルト・アム・マインを冠するSinnの腕時計は、このファイナンシャル・クロノグラフ「6000」シリーズだけである。
付属の木製ボックスにはストラップ1本、ベルト交換工具、キズミ(時計用ルーペ)、ポリッシュクロス、カタログが収められている。
「プロイセン魂! 継承者は誰だ?」。ワイマール時代の保守・右派政党「ドイツ国家人民党」の選挙ポスター。「黒・赤・白」は反民主主義の立場を表徴する。保守野党として国家主義を標榜し続けた。(Anschläge 1973)
左/「ショコラ・シュシャール」。スイスの菓子製品のベルリン支店宣伝広告。後景の「戦勝記念塔」はプロイセン帝都の象徴。三色旗「黒・赤・白」はドイツ帝国の記号。1905年。(Reklame 1905) 右/「プロイセン軍皇帝閲見行進でご挨拶」。ヴィルヘルム二世の御前大演習。絵葉書のデザイン。縁取り模様も「黒・赤・白」。ca.1907。(Berlin Postkarte 1907)
19世紀、民衆は自分たちの手による国家の統一を夢見た。民主勢力が掲げたのは、もちろん、黒・赤・黄金という、神聖ローマ帝国の色彩論だった。
1848年、民主革命が起きた。通称「三月革命」という。革命派は、黒・赤・黄金の三色バッジを誇らしげに胸につけて、街頭にくりだした。
これを嚆矢に続く民主化の流れに対して、帝国宰相ビスマルクは、プロイセン主導による帝国統一をめざし、革命を鎮圧した。彼は、その政治信条を誇示し、旗幟を鮮明にするため、「黒・赤・白」を採用して、民主勢力を弾圧した。
なぜなら「黒・白」は軍事国家プロイセンのシンボルカラーであり、「赤・白」は、これと提携した北方ハンザ同盟の伝統カラーだったからである。
保守勢力は色彩でもって、民主勢力に反対したのである。
ビスマルク失脚後、1920年代、ワイマール共和国の時代が到来する。
すると、再び民主勢力は「黒・赤・黄金」を、シンボルカラーとして押し立てた。
米国の「黄金の20年代」、日本の「大正デモクラシー」に相当する、ドイツの「ワイマール時代」。いずれも、自由主義と民主主義を標榜し、芸術とサブカルチャーが花開く大衆社会が誕生した時代だ。
黄金の二〇年代と呼ばれるワイマール時代、ドイツの街頭は「黒・赤・白」のモノトーンを排して、鮮やかな「黒・赤・黄金」の色彩で、活気づいたのであった。
表現主義運動の中で生まれた天才たち。 左/名監督フリッツ・ラング(Friedrich Christian Anton “Fritz” Lang 1890〜1976年)。 中/大女優で歌手のマレーネ・ディートリヒ(Marlene Dietrich 1901~1992年)。 右/作曲家クルト・ヴァイル(Kurt Weill 1900~1950年)。
名匠フリッツ・ラングが生み出した傑作群の中の一部。 上左/1927年『メトロポリス(Metropolis)』。 上右/1933年『怪人マブゼ博士(Das Testament des Dr.Mabuse)』。 下/1928年『スピオーネ(Spione)
マレーネ・ディートリヒが出演したドイツ映画最初期のトーキー、1930年公開の『嘆きの天使(Der blaue Engel)』。ディートリヒはこの映画で「100万ドルの脚線美」と称えられ、ハリウッドに招かれる。
ドイツ屈指のポピュラー系科学雑誌『知識と進歩』1929年12月号表紙。超大型旅客機ドルニエDo X(初飛行同年10月29日)を速報する。大西洋航路大型客船に代わる「空の豪華客船」。(Wissen & Fortschritt 1929-12)
現代は「科学の時代」・・・・というよりも、正確には「科学情報の時代」である。
一般大衆は専門家ではない。だから最先端科学も、素人に分かるように、やさしく語られなくてはならない。そこで、「ポピュラー系科学雑誌」というジャンルが誕生した。19世紀のことだ。
学会誌や研究論文は、専門家集団による閉じた知的サークルだけでしか通用しない。それとは違い、ポピュラー系科学雑誌は、科学知識をひろく一般大衆に伝えることを目的とした情報ツールである。
書き手は専門家だが、読者は素人だ。
だから、最先端の知識を正確におさえる。と同時に、読者である大衆の受容傾向にたいする配慮がなされなくてはならない。
キーワードは「分かりやすく伝える」(Written so you can understand it)である。
米国では19世紀後半から、『サイエンティフィック・アメリカン』(1845年創刊)、『ポピュラー・サイエンス』(1872年)、『ポピュラー・メカニクス』(1902年)の三大誌がつぎつぎと創刊され、今日まで出版されつづけている。
ドイツでは同じ頃、『科学技術総覧』(1896年)、『プロメテウス』(1898年)、『知識と進歩』(1926年)が登場し、日本でも大正時代から昭和初期にかけて、『科学知識』(1921年)、『科学画報』(1923年)、『科学の日本』(1933年)そして『子供の科学』(1937年)などが相次いで創刊された。
これらは月刊誌あるいは週刊誌として市場に登場しつづけ、20世紀をつうじてかたときも休むことなく、ひとびとに最新の科学情報を「分かりやすく」伝えつづけた。
図版にあげた『知識と進歩』のカラフルな表紙も、ドイツの一般大衆読者の心をつかむための表象戦略である。
左/特集「農業の近代化」「畑を耕す鉄の鍬」。『知識と進歩』1928年2月号表紙。農村のモダンライフも機械化とともに。カラフルな表紙は「明るい未来」?(Wissen & Fortschritt 1928-2) 右/「無線による電力送電プラン」。未来の発電所は高圧電線知らず。ラジオ無線で遠隔地にエネルギー供給。(Wissen & Fortschritt 1928-9)
左/特集「未来都市の交響楽」。1920年代都市計画は頻繁に「交響楽」と冠された。公共交通網・高層建築・電力供給網。さまざまな都市機能が複合的に協働する社会構造の比喩だ。(Wissen & Fortschritt 1928-5) 右/特集「農業の機械化」。「セブンマイル耕運機械」。「セブンマイル伝説」は高性能の換喩。(Wissen & Fortschritt 1928-6)
特集「宇宙空間の征服」。ロケット推進機関の基礎研究。郵便ロケット・救助ロープ射出ロケットなど大気圏内のロケット技術は実用化段階に入っていた。成層圏を突破するイメージ画像は夢の象徴。(Wissen & Fortschritt 1928-4)
クルト・トホルスキー『世界に冠たるドイツ』。ユダヤ系ジャーナリスト。辛辣な諷刺でドイツ社会を批判した左翼民主主義者の代表作。その舌鋒は鋭く逆鱗に触れナチスにより焚書処分される。(Tucholsky 1929)
「排煙計測メーター」の宣伝広告チラシ。ハンブルク市有限会社モノ社製。横20cm縦30cm紙製チラシ。市内に広く配布する用途。都市の大量情報空間にも埋もれないカラフルな発信力は情報採餌論的にも欠かせない要素だ。(Rauchgas=Prüfer ca.1930)
黒・赤・黄金とカラフルな色彩で、自由を謳歌したワイマール時代。しかし、それも長くは続かなかった。
1933年、ナチス政権が樹立すると、排外的国家主義を標榜し、国旗の色彩は再び「黒・赤・白」に回帰する。文字通り、社会からあらゆる鮮やかさが消し去られた、暗黒時代が訪れたのである。
そして1945年。ナチスドイツの崩壊と、新生ドイツが誕生した。
ナチス時代とハッキリと決別する。そうした国家意志の象徴として、公式な色彩がふたたび変更された。「黒・赤・黄金」がまたもや選択されたのである。そして、正式に国旗として憲法で規定され今日に至っているのである。
ドイツの色彩論は記号性に富んでいる。
色彩はたんに光学的現象であるばかりでなく、すぐれて社会的・歴史的含意性に溢れている。それ自体で、ひとつの文化現象なのである。
だから、Sinnの何気ない色使いからも、ひとつの色に込められた文化的記号性を読み解くことができる。
色彩のコード体系を見抜くことは、Sinnの文化的メッセージを受けとることであり、ドイツデザインのもつ文化的含意を解読することにつながる。
「女性参政権を実現しよう」。1914年3月8日「国際女性デー」用の民主運動ポスター。社会民主主義的主張は三色「黒・赤・黄金」の構成に明らか。ミュンヘンの画家カール・マリア・シュタードラー画。(Frauen-Tag 1914)
かなり特徴のある4枚羽ローターのような秒針と、捥時計と言うには極めて大柄で肉厚なEZM12はドイツでドクターヘリでの航空救命活動に従事する医師の協力を得て開発されたツールなのであり、一分一秒を争う救命救急の現場での使用を想定している。目を引く大型のカウントダウン式回転ベゼルは1500ビッカースもの硬度のテギメント加工され傷や腐食にめっぽう強い処理をされており、ベゼル上側のオレンジ色のリューズで操作するカウントアップ式インナーベゼルと合わせ、救急活動における「プラチナの10分」と「黄金の1時間」を確実に読み取るための配慮が成されている。そしてヘリコプターのローターをイメージさせる秒針は心拍数測定用パルスメーターとして機能し、4本のうちどの針でもよいので12時位置より心拍を15回カウントした時点で示すベゼル内の数値が1分間の心拍に換算できるのである。
さらに手袋を嵌めた手でもゼンマイ操作しやすいように非埋め込み型のリューズ、それでいて20気圧もの防水機能、1200ビッカースの硬度処理されたデギメント加工のベゼル。いかなる光線下でも高い視認性を保つ両面無反射サファイアクリスタルガラス。
織本知之/日本写真家協会会員。第16 回アニマ賞受賞。『モノ・マガジン』で「電子写眞機戀愛」を連載中。
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