1990年代に大ブームを巻き起こし、雑誌だけでなくTVなどでもさまざまな特集が組まれたフライトジャケット。現在ではブームも沈静化したが、ミリタリーだけでなくファッションの分野でも広く認知される存在となった。とは言え、最近ではミリタリー雑誌等でフライトジャケットに関する特集が組まれる事は少なく、若いファン向けの情報が少ないのが現状。と言うわけで、今回の『フライトジャケットライブラリー』ではアメリカ軍のフライトジャケットを中心に特集を組んでみた。「空気より重い(Heavier than air)」機械、すなわち飛行機が初めて飛行に成功したのは1903年12月15日だが、初飛行時に発明者のライト兄弟が着ていたのはウールの背広だった。やがて飛行機が実用化されると専用の飛行服が必要となり、革製ジャケットやカバーオール式のスーツが使用されるようになる。当初それらはモータースポーツ用の衣類や、鉛管工の「つなぎ」の流用だったが次第に専用の衣類や各種装備が製造されるようになった。
そして第1 次世界大戦(1914~18年)で飛行機が兵器として使用されると本格的飛行服が開発製造されていく。初期の飛行服はエンジンから飛び散る油や風圧からの保護を目的としていたが、飛行機が高速で高高度を飛ぶようになると、今度は防寒が重要な問題となり、さまざまな素材を使用した物が作られた(WWIの空中戦は高度4 、600m前後で、気温は-20℃。飛行士は160㎞/hの風速に晒された)。そして飛行服は飛行機の発展と歩調を合わせて進化を続け、現在に至って
いる。
1930年代までアメリカ軍ではフライトジャケットを「夏用」と「冬用」の2種類に区分していたが、戦争が世界規模におよんだ第2次世界大戦では支給面で不都合を生じるようになった。そこで陸軍航空隊(Army Air Forces)では1941年にフライトジャケットおよびスーツを着用する気温区分を設定した。これは世界各地の気候に対応する事を目的とし、-50℃~50℃の温度幅を5つに区分したもの。その内訳は①べリー・ライトゾーン(超軽装備域:30~50℃)、②ライトゾーン(軽装備域:10~30℃)、③インターミディエート・ゾーン(中装備域:-10~10℃)、④ヘビー・ゾーン(重装備域:-10~-30℃)、⑤ペリー・ヘビー・ゾーン(超重装備域:-30~-50℃)となっている。そして、それに対応するジャケット、スーツ、そして電熱服が定められたが、実際のところ人間が感じる温度には個人差があるため、必ずしも厳密なものではない。
以後、アメリカ軍の航空衣料はこの温度区分にしたがって開発されており、フライトジャケットの場合は②~④の3 タイプに区分されている。今回は、タウンユーズ向きのライト・ゾーン用とインターミディエー卜・ゾーンの2 タイプに限定して紹介させていただいた。
発艦前の打ち合わせを行
なうA/F-18スーパーホ
ーネットのクルー。現在
は飛行任務中のフライト
ジャケットを着用する事
は稀で、フライトスーツ
だけを着用するのが一般
的だ。
〔Photo : U.S. Navy〕
A-2ジャケットはアメリカ陸軍航空軍団(US.A.A.C.=Army Air Corps)の夏期用フライトジャケットとして1931年に採用され、第2次世界大戦中の1943年まで生産が続けられた。素材にホースハイド(馬革)、袖と裾にニット(リブ)を使用し、完成されたデザインが最大の特徴だ。第2次世界大戦中には複数のメーカーによって大量生産が行なわれたが、その際には本来の仕様(スペック)の簡略化がある程度認められており、細部の異なるバリエーションが存在。古着
フアンの中にはメーカー別の細部バリエーションに拘る向きも多い。ちなみにA-2 の細部バリエーションの代表的な物には①ファスナー位置(右寄り、または左寄り)、④ファスナーのスライダー形状と材質、④襟の形状、④ポケット・フラップの形状。また革の色も茶色が強い“ラセット・ブラウン”と、黒っぼい“シール・ブラウン”の2種類が存在している。
台襟付き | 台襟無し |
襟のバリエーション
A-2の細部バリエーションで代表的な物のひとつが襟の形状。ここで示したのは台襟(襟を高く立たせるための台となる襟:矢印部)が付いたタイプと、付いていないタイプの物だが、軍のスペックで定められていたのは前者。ちなみに台襟付きの物はラフウェア社で、台襟なしがスピワック社製。なお、ここで示したのは台襟の有無だが、襟本体の形状にもバリエーションが存在している。
襟元
襟元はフック&アイ、襟はスナップファスナーで閉じられるようになっているが、これは飛行機が開放式コックピットだった時代の名残で、風圧で襟がはためいて負傷の原因となるのを防ぐのが目的。大戦中の航空兵の中にはディンギー・ホイッスル(不時着水時に所在を知らせる笛)やお守りのベル(鐘)をフック&アイに取り付けた者も多かった。
ショルダー・ループのバリエーション
ショルダー・ループは革2 枚を重ねて縫い合わせて作られており、メーカーによって幅やステッチに遣いが見られる。ここで示したのはクロスステッチ有りがスピワック社、クロスステッチ無しがブロンコ社の製品。
クロスステッチ有り | クロスステッチ無し |
陸軍航空隊マーク
左肩に付けられた陸軍航空隊のマーク(転写でカール式)が付くが、これは陸軍航空軍団が改編されて陸軍航空隊となった1941年に採用されたもの。このマークはA-2以外のフライトジャケットにも付けられたが、大戦中に生産されたA-2の中にはマークを省略した物も存在している。
腋の下の通気孔
ジャケットの腋の下には蒸れを防ぐ目的で通機孔が設けられている。通気孔には金属製のアイレット(はと目)2個を使用。
袖口
袖口は継ぎ目の無い輪編みのニットを使用。これは寒風が吹き込むのを防止すると同時に、サイズに幅を持たせる役割も果たす。ニットはウール製で、強度を持たせるためにバージン・ウールに再生ウールを混ぜ込んでいる。
ファスナーのバリエーション
A-2のファスナーには3 つのメーカーの製品が使用された。最初に使用されていたのはタロン社製で、後にクラウン社とコンマ一社の物も使用されるようになった。ここで示したのはクラウン社とコンマ一社のスライダーで、前者はスプリングを組み込んだロック機構を備えているのが特徴。
ポケットのバリエーション
裾の両側にはパッチ・ポケットが付くが、マチが付いていないので、チャート(航空図)などの薄い物しか入らない。フラップはスナップファスナーで閉じられ、その裁断はメーカーによって違いが見られる。軍のスペックではカーブの付いた裁断とされていたが、大戦中には直線的な裁断の物も作られた。写真は右がラフウェア社の製品。
タグのバリエーション
各部のディテールと同様、A-2のタグにも生産時期やメーカーによって表記に違いが存在する。タグに記載されるのは①型式、②図面番号(30─1415)、③発注契約番号、④陸軍航空隊所有財産表記、⑤メーカーだが、左端のタグ(擦れて見づらいが)にはメーカーの表記が無い。またタグは黒に黄色の文字が一般的だが、白文字の物も作られた。
第2 次世界大戦中にアメリカ軍は海外の駐屯地で大量の物資を調達しており、その種類は実に2,000を超えている。これらの海外調達分は一般に“ローカルメイドと呼ばれ、イギリスで生産された物が有名だがここで紹介するA-2はオーストラリア製だ。アメリカ軍は太平洋戦線における反攻拠点としてオーストラリアを基地とし、ジャングル戦用の装備からレーションの缶詰までを現地で生産させている。ちなみにアメリカとオーストラリアではエ業規格が異なるため、品目によっては生産が軌道に乗るまでに時間を要したと言う。
タグ
アメリカ製のオリジナルと違ってシンプルな表示のタグ。記載されているのは1942年製とサイズ、そして生産国表示だが、“V505”が何を意味するかは不明。
襟元
襟はオリジナルと同様にスナップファスナーで固定されるが、襟元を閉じるフック&アイは省略されている。
ライニングは経年変化で退色しているが、アメリカ製オリジナルとは色調が異なる。素材はブロードクロスのようだが判然としない。左に丸い飛行隊(スコードロン・パッチ)を縫い付けた跡があるのに注意。
U.S.A.A.F.ロゴ
裏地にプリントされたアメリカ陸軍航空隊のロゴ。これはアメリカ製オリジナルのA-2には見られないもの。
ファスナー
オーストラリア製A-2のファスナーはロック機構の無い一般的なタイプの真縫製。“ZIPP”の刻印はメーカー名か?
ポケット
ポケットは横方向が縦方向より長くなっており、アメリカ製オリジナルとは逆。このためジャケットの外観から受ける印象も案外異なる。フラップは直線的な裁断で、オリジナルと同様にスナップファスナーで閉じられる。
5AF章
左肩に付けられたローカルメイドの第5 航空軍章(5AF)。5AFは1941年にフィリピンで極東空軍として編成され、太平洋戦争勃発後にオーストラリアに移動して5AFに改編。その後日本軍と戦って戦後は日本に進駐し、現在はその司令部を横田基地に置いている。
ウイング/ネーム・プレート
左胸に付けられた革製のネーム・プレート。WWⅡ当時の正規品は名前だけを表記したが、写真の物はウイング章(観測員章)と名前を箔押ししたローカルメイド品。なお、ウイング章とネーム・プレートに関しては次回で紹介の予定。
復刻版A-2ジャケット
現在もA-2ジャケットの人気は高く、複数のメーカーから復刻版が販売されており、プレーンな物から、各種徽章を付けた物、そしてバックペイントを施した物が存在。写真の復刻版は、第14航空軍所属の第23戦闘空軍所属の第23戦闘航空群(14AF/23FG)をモチーフにしている。素材はWⅡ当時のオリジナルと同様ホースハイドを使用。(撮影協力:中田商店/コックピットTypeA-2WWⅡレプリカ第14空軍フライングタイガー/価格14万5,000円)
背中にはCBI(中国・ビルマ・インド)戦域で広く使用された“ブラッドチット(Blood Chit)が付く。これは不時着した航空兵の救出に対し謝礼を支払う事を説明する物で、中国政府発行の公式のほかに、復刻版のようなローカルメイド品も多く作られた。このジャケットの右肩にはCBI戦域章、左肩には14AF章が付く。
左胸に付く23FG章。デザインはディズニースタジオが提供したもので、モチーフは部隊の前身であるアメリカ義勇軍(AVG)“フライング・タイガース”に由来。ちなみに、この部隊章は23FG隷下の第74戦闘飛行隊(74FS)によっても使用されている。
第2次世界大戦中の1942年、陸軍航空隊はコストダウンと生産性向上のためフライトジャケット素材の見直しを行ない、従来の革をコットン素材に変更している(これに関してはPart.2で紹介予定)。これによりA-2ジャケットも’43年で調達が中止され、以後は在庫が切れた時点で廃止となる限定採用アイテムに区分された。しかし、A-2自体はその後も着用が続けられ、朝鮮戦争(1950~53年)でも「現役」だった。ただし、これは戦争勃発によって召集された予備役の兵士が着用したもので、その後はコットンおよびナイロン製のフライトジャケットにその座を譲っている。しかしA-2は陸軍航空隊、そして1947年に独立した空軍のシンボル的存在であり、兵士たちの愛着も深かった。ここで紹介するA-2は空軍の強い希望で再度正規ユニフォームとして復活した物で、空軍誕生40周年の1987年に採用。翌1988年から支給が開始されている。新生A-2のフォルムは’31年採用のオリジナルと同じだが、その素材はホースハイドから柔らかいゴートスキン(ヤギ革)に変更されており、全体から受けるニュアンスも若干異なっている。復活版A-2ジャケットは空軍誕生40周年祝賀会用にアヴイレックス社が200着を納入したのが最初だが、最初の契約はクーパー・スポーツウェア社と結ばれた。
1988年製正規品
空軍誕年40周年を記念して採用された復活版A-2ジャケット。写真のA-2は1988年製で、支給が開始された最初のモデルだ。使用素材はWWⅡ当時のホースハイドから柔らかいゴートスキンに変更されており、着心地と動きやすさが向上しているのが特徴。両胸にはネーム・プレートと所属部隊のパッチを付けるパイルテープが付けられており、必要に応じて着脱可能となっている。
タグ
復活A-2ジャケットのタグは大戦中の織りタグと異なり、白の布にプリントしたシンプルなもの。3行目の“DLA100 88 C0420”が軍とクーパー社の契約番号で、復活A-2ジャケット最初の発注分(“88”が契約年)。上の“SADDLERY”のタグはクーパー社のブランド名だ。
ショルダーテープ
ショルダー・ループはオリジナルと同様に幅が狭く、両側にクロスステッチが入る。
襟
襟がスナップファスナーで固定されるのはオリジナルと同じ。ファスナーはアメリカ軍の個人装備に使用されている物と同じタイプ(いわゆる“RAU”ファスナー)で、WWⅡ当時にも使用されている(「襟のバリエーション」写真参照)。
襟元を閉じるアイ&フックもオリジナルのデザインをそのまま踏襲している。
現行・市販モデル
こちらは現在コックピットU.S.A.が一般向けに市販している現行モデルのA-2。ゴートスキン製で、色は黒っぼいシール・ブラウンだが、革の色は1987年に採用が決定された際に定められたもの。(撮影協力:中田商店/コックピットTypeA-2ジャケット米軍現用/価格5万5,944円)
パッチ用パイルテープ
復活版A-2ジャケットの両胸にはパイルテープが縫い付けられており、ネーム・プレートや部隊パッチを取り付ける事が可能。ネーム・プレートやパッチはさまざまなタイプが販売されており、好みに応じて付け替える事ができる。
襟
1988年にA-2が空軍ユニフォームとして採用された際、A-2の襟元はアイ&フックで閉じる仕様だったが、現行版では廃止されている。
タグ
コックピット製の現行A-2のタグはオリジナルA-2の織りタグを再現。表記は初期A-2のタグを模した物となっている。
内ポケット
左胸内側にはペンポケット( 2 本用)が付く。画面左下に見えるタグは使用素材がゴートスキンである事を示したもの。
海軍、その航空部隊の発祥は海軍が1911年に2 機の複葉機を発注したのが最初とされる。アメリカ海軍のフライトジャケットは航空部隊の誕生から開発されてきたが、肝心の資料が皆無に近いため、’40年代以前のものは実態が不明。ここで紹介するG-1は夏用と冬用の「中間」に位置する“インターミディエードに区分されるフライトジャケットだ。アメリカ海軍の革製インターミディエート用FJは1940年に採用されたM422に端を発し、’41年にはスペック(仕様)を一部変更したM422Aに発展。第2 次世界大戦中にはM422と同じデザインのジャケットが陸海軍共通FJのAN-J-3として採用され、戦後の’47年にはG-1として採用されている。これらジャケットの基本デザインはM442から変化しておらず、その完成度の高さが判る。G-1は’76年に支給が一時停止されたが、海軍飛行士たちの愛着は深く、一部では軍納入業者が軍の購買部向けに製造した物を購入着用していた。G-1の支給は、’84年に再開されたが、飛行服としての着用は禁じられており、現在では海軍飛行士(エヴィエーター)を象徴するステータス・シンボルとなっている。
SPEC. 55-J-14
第2 次世界大戦後、アメリカ陸軍はユニフォームと装備の見直しを行なったが、その過程でM422およびAN-J-3ジャケットは“G-1”の型式で使用が続けられる事となった。ここで紹介したG-1は初期タイプのスペック55-J-14で、1947年から’52年にかけて生産されたもの。’52年にはスペックがMIL-J-7823に変更され、その後5 回の改定が加えられた。G-1ジャケットの素材はゴート(ヤギ革)またはキッド(子ヤギ)だったが、’75年にはカウハイド(牛革)に変更され、現在に至っている。
襟のディテール
G-1の特徴のひとつがムートン製の襟で、立てて閉じる事が可能。これは飛行機のコックピットが開放式だった時代の名残だ。ちなみに襟の素材は1975年にアクリルに変更されている。
アクション・プリーツ
背中の両側には腕の運動量を確保するためのアクション・プリーツが設けられ、内側に入れられたゴムバンド(エラスティック・ウエッビング)でテンションをかけている。
G-1のライニングはナイロン・オックスフォード(オックスフォードは「斜子織り」のこと)を使用。色はジャケット本体とほぼ同じ色と規定されており、これは襟のムートンも同様だが、経年変化や太陽光線によって写真のジャケットのように色が変わる事も多い。
前立てのバリエーション
右前見頃には風の侵入を防ぐ前立てが付くが、上部の裁断には斜めにカットした物とカーブの付いた物の2 タイプが存在。これはスペックによる変更ではなく、メーカーと生産時期による違いのようだ。
内ポケット
ジャケット左前身頃には内ポケットが付き、スナップファスナー(RAUファスナー)で閉じられる。
“U.S.N.”のマーキング
襟の内側にステンシルされた“USN”の文字はG-1の前身であるM422ジャケット当時からの物で、色はシルバー、白、黄色のバリエーションが存在。1956年以降“USN”の文字はジャケット正面の前立てに移動し、ステンシルではなく打ち抜き式に変更されている。
腋の下の空気孔
A-2ジャケットと同様、脇の下には金属製アイレット(はと目)を使用した通気孔が設けられている。写真では2個しか見えないが、アイレットの数は3個だ。
M422A
アメリカ海軍の革製インターミディエー卜用FJ最初のモデルとなったのがM422で、1940年に採用。’41年には部分的に改修を加えた写具のM422A(“A”は改修の意味)が採用され、’43年まで生産された。素材はゴートスキン(ヤギ革)で、襟がムートン、そして内張りはレーヨン。M442は’47年にスペックが変更されてG-1に発展した。
ポケットのディテール
ポケットのフラップはボタンで留めるデザイン。左側ポケットにはペンポケット(矢印)が設けられている。ペンポケットの形状にはメーカーの違いなどによる差異が見られる。
左側ポケットのフラップ裏にサイズ表示のタグが付けられた物が存在。写真はスペックMIL-J-7823のG-1。
ファスナーのバリエーション
ファスナーの素材には亜鉛や真鍮のバリエーションが存在。また、色も真鍮にニッケルメッキや、亜鉛に真鍮メッキ処理をした物が存在。スライダーの引き手は1961年制定のスペック7823Bからワイヤーに変更された。
裾のリブ
ウエスト部のリブ(ニット)は途中から織りパターンが変わるのが特徴。袖と裾のリブには赤っぽい糸を使用した物も存在する。
G-1のスペックと名称の変化
スペック | タグ表記名称&スペック制定年 |
55-J-14(AER) | BUAER-U.S. NAVY, G-1 FLIGHT JACKET(1947) |
MIL-J-7823(AER) | Bureau of Aeronautics, U.S.N. FLIGHT JACKET INTERMEDIATE G-1(1952) |
MIL-J-7823A(AER) | Bureau of Aeronautics, U.S.N. FLIGHT JACKET MAN’S TYPE G-1(1952) |
MIL-J-7823B(WEP) | JACKET FLYING MAN’S TYPE G-1(1961) |
MIL-J-7823C(WEP) | JACKET FLYING MAN’S TYPE G-1(1964) |
MIL-J-7823D(WEP) | JACKET FLYING MAN’S INTERMEDIATE TYPE G-1(1967) |
MIL-J-7823E(AS) | JACKET FLYING, INTERMEDIATE TYPE G-1(1971) |
1950年代初め、アメリカ軍は各種装備のスペック(仕様)を改定し、頭に“MIL”が付く、いわゆる“ミルスペック”を導入した。これによりG-1のスペックも55-J-14からMIL-J-7823に変更されている。
G-1はその後’76年に支給が一時停止されるまでの間にスペックに変更が加えられ、計5 種類のバリエーションが存在(変更はスペックNo.の末尾に付くアルファベットで示される)。
タグのバリエーション
左ページの表で示したようにG-1はそのスペックが変更された際にタグの表記も部分的に変化している。スペック55-J-14のラベル3 行目に記された“AER”は“Bureau of Aeronautics”の略で「海軍航空局」の意味。同組織は海軍航空部門の開発・研究組織で、航空衣料の開発も行なっていた。これがスペックMIL-J-7823Bでは“WEP”に変更されるが、これは“Bureau of Naval eapons”の略。
「海軍武器局」の意味で、航空装備の開発・研究を行なう組織のこと。ここで示したG-1のタグは織りタグだが、’72年制定のスペックMIL-J-7823Eから白い布に印刷した物となった。
復刻版G-1ジャケット
G-1は1986年公開の映画『トップガン』で主演のトム・クルーズが劇中でコスチュームとして着用した事で注目され、一躍FJブームを巻き起こした。写真の復刻版はコックピットU.S.A.の製品で、主人公“マーベリック”が着用したG-1を再現。ファンには垂誕のアイテムだ。(撮影協力:中田商店/コックピットTypeG-1 MovieHeroes/価格14万8,000円)
パッチ付G-1 MIL-J-7823B
海軍フライトジャケットの大きな魅力が着用された各種パッチの存在だ。ジャケットに付けるパッチは着用者がこれまで所属してきた部隊や、経歴を表わすもので、一種の履歴書といった趣がある。パッチには各種記念や、軍正規デザインをアレンジした変形バージョンも存在。その着用は、個人の自由裁量に任されている。背面には極東航海(Far East Cruise)記念など、さまざまなパッチが縫い付けられている。ちなみに劇中で“マーベリック”が着ていたG-1は1965年に空母「オリスカニー」に所属し、作戦中に行方不明となった父親の遺品という設定だった。
モノ・マガジン ライブラリー一覧はコチラ