戦車王国ここに極まれり
5月22日、陸上自衛隊東千歳駐屯地において、「第7師団創隊67周年・東千歳駐屯地創立68周年記念行事」が開催されました。新型コロナウイルス感染予防の観点から、2020年、2021年と中止となってしまいましたので、実に3年ぶりとなります。
第7師団は、陸自に編成されている15個ある師旅団の一つではあるのですが、趣を異にする存在です。 なぜならば、陸自唯一の機甲師団であるからです。名称に冠している「機甲」とは、戦車のことを指します。各師旅団にも機甲科部隊は編成されていますが、いずれも大隊や中隊といった規模。しかしながら第7師団には、第71戦車連隊、第72戦車連隊、第73戦車連隊と、なんと3個もの機甲科連隊があるのです。さらには、名前の通り偵察行動を主とする第7偵察隊にも戦車が配備されています。偵察部隊で戦車を運用しているのは、第7師団以外にはありません。これら3個連隊+1個隊にて、約200両もの10式戦車と90式戦車を配備しているという、とんでもない規模なのです。
また、戦車単独では戦えません。そこで、ともに戦う普通科や特科、施設科と言った戦闘職種から後方支援職種まで、第7師団隷下のすべての部隊は装甲車化されています。
特に注目すべきは第11普通科連隊です。この部隊にのみ、89式装甲戦闘車が配備されています。また各中隊の移動も73式装甲車を用います。重迫撃砲中隊が扱う120㎜迫撃砲も、装甲車の中に搭載しました。日本全国の普通科連隊の中で、唯一完全装甲車化を成し遂げているのです。
なぜここまでの重装備師団となっているかというと、地勢的理由があります。第7師団が守る北海道は、海を隔ててロシアと国境を接しているからです。
冷戦時代は、対ソ連最前線であり、最も緊迫したエリアでした。当時のソ連軍は、機甲科を中心とした諸職種混合戦闘大隊を編成して、攻め込んで切ると見積もられていました。今のように携行式の対戦車ミサイル等が十分でなかった時代、戦車を倒せるのは戦車のみでした。そこで、陸自の中でもずば抜けて打撃力の高い機甲師団が必要だったのです。
その当時と比べれば、ロシアの脅威は減じましたが、依然として「今そこにある危機」であることに代わりません。
壮大なパレード
記念行事は、観閲行進(パレード)と訓練展示の2つが見せ場となっております。
前述してきたように、第7師団は、戦車を中心とし、多数の装甲車等でパレードを行います。これはもう感動ものです。
会場には、ズラリと車両と隊員が整列しています。この光景は壮観であり、他の師旅団とは比べ物にならない圧巻のシチュエーション。
第7師団だけではなく、東千歳駐屯地に所在する北部方面隊の隷下部隊も含まれます。第1高射特科群や北部方面後方支援隊、第1陸曹教育隊から第1電子隊という珍しい部隊まで様々。なお、昔から東千歳駐屯地に所在する部隊は「東部隊」と親しみを込めて呼ばれています。
観閲官を務めるのは第7師団長である中村裕亮陸将です。第40普通科連隊長や第15旅団長など要職を歴任してきました。そして、観閲部隊を指揮するのは、副師団長の武田敏裕陸将補です。観閲官による部隊巡閲や訓示、来賓祝辞などが終わると、いよいよパレードのスタートです。
まずは観閲部隊を指揮する副師団長が90式戦車に乗り込んで先陣を切ります。北部方面隊直轄の隷下部隊、そして第7師団と続きます。
車両や装甲車がうなりを上げて次々と観閲台の前を通過していきます。4列、または5列で隊列を組んで前進する姿はまるで映画のようです。
パレードのトリを飾ったのは、戦車でした。地鳴りとともに足元を揺らしながら、90式戦車や10式戦車が走り抜けていきます。巻き上げる土埃で、視界が奪われることもありました。
これぞ機甲師団たる立派なパレードでした。