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飛行服絶対主義
第3回:フライトジャケットを着用する温度域の区分と素材の変化


主にアメリカのミリタリー事情に精通する菊月俊之さんが、毎回フライトジャケットとはいったいどのようなものかを解説します。

今回は、フライトジャケットを着用する温度域の区分と素材の変化について。

内容は「フライトジャケットにも冬用、夏用がある」
「アメリカ陸軍航空隊が1941年に温度域を設定」
「以後、その温度域に従ってフライトジャケットを開発する」
「-50℃〜50℃の範囲を5つに区切った」
「①ベリーライトゾーン(超軽装備)30℃〜50℃の気温域、 ②ライトゾーン(軽装備)10℃〜30℃の気温域、 ③インターミディエイトゾーン(中間装備)10℃〜-10℃の気温域、 ④ヘビーゾーン(重装備)-10℃〜-30℃の気温域、 ⑤ベリーヘビーゾーン(超重装備)-30℃〜-50℃の気温域」
「第一次大戦の時の空中戦は高度4600m前後で気温が約-20℃」
「しかもコックピットは剥き出し」
「その後、操縦席が風防で覆われたことで、ある程度は解決されるが、それでも高高度は寒い」
「B-24爆撃機リベレーターは高度6000m、気温が約-25℃」
「操縦席はエンジンからの暖気が回ってくるが、側面銃座の射手は極寒の外気に晒されていた」
「第二次大戦で航空兵が増えると革の供給が間に合わなくなり、素材の見直しが行われる」
「革からコットンへ、そして50年代にはナイロンに」
「一番有名なナイロン仕様のフライトジャケットがMA-1」
「ナイロンは火に弱く、飛行機が火災を起こした場合、パイロットがひどい火傷を負う恐れがある」 「70年代になると耐熱アラミド繊維をデュポン社が開発」
「これを最初に使用したのがCWU-45/P」
「現在ではノボロイドとよばれる耐熱繊維が使用されている」です。

菊月俊之(Toshiyuki Kikuduki)

1958年、岩手県生まれ。1980年より雑誌『コンバットマガジン』(ワールドフォトプレス刊)などにミリタリー関連記事を寄稿。著書に『世界の軍用銃』(光文社)ほか多数。

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