#5 千代鶴是秀(ちよづるこれひで)
日本の鍛冶が作り出す刃物道具は、世界でも最高峰の切れ味を誇る。中でも、伝統的な木造建築に欠かせない大工道具は、その精緻さで他を圧する。鑿、鉋、切出、玄翁、鋸……。日本文化を根底で支えてきた道具は、息が切れるほど長い期間、何代にも渡る鍛冶と使い手たちが磨きあげてきた、完成度を持つ。その頂点に君臨するのが、明治から昭和にかけて、日本の刃物文化が集大成を迎えた時期に活躍した、千代鶴是秀(ちよづるこれひで)という、ひとりの鍛冶だ。
千代鶴是秀は、時代に逆行するかのように機械の導入を行なわず、工程をひとつずつ手作業で丁寧に行なっていった。大量生産を行なう産地の鍛冶屋に問われて「あなたがたは早く延びろと思いながら鉄を叩きますが、私は、延びるな延びるなと思って叩きます」と語った逸話が残る。温度管理を適切にしながら、時間をかけて鍛えた鋼は、適度な粘りを持ち、心地よい切れ味が長く続く刃物となる。「しんなりがたい」とも評されるそんな逸品を手にした職人たちは自らの「身上」として大切に扱った。
木材にほぞ穴をあける際に使う「叩き鑿」。明治末に作られたもの。千代鶴是秀は明治17年に、10歳で修業に入り、18歳で独立。その後しばらくは、大工に向けた実用的な刃物を作り続けた。何人かの有名棟梁の道具を手がけ、その出来が素晴らしいと評判が広まり、売れっ子の鍛冶屋となった頃の作品。(土田刃物店所蔵)
用と美、いずれも備えた刃物を作り上げた天才鍛冶
千代鶴是秀の本名は加藤廣。高名な刀匠一族の家に生まれた。本来は、彼も刀匠としての道を歩むはずだったが、明治の世になり廃刀令が施行され、刀匠の仕事が激減したことが、規定路線からの変更を余儀なくさせ、彼と「道具」の歴史を大きく塗り替えることとなった。刀匠から大工道具鍛冶に転向した叔父の元で仕事を覚えた是秀は、そこでいくつかのごくシンプルな原則を教わった。独立後、それらを愚直に守って作った作品は、1㎏近い大きな玄翁のわずか五匁(約19g)の違いすら気付くような腕の良い大工たちも感嘆する、精度の高さと切れ味の良さを持ち、すぐ職人衆の間で人気となった。
その高い性能は、手を抜かない製作姿勢と同時に、当時不安定だった鋼の性質の善し悪しを見抜く眼力と過去の作品を研究することで得た、「丸いところは丸く、まっすぐなものはまっすぐ」という理にかなった使いよい形状から生まれたものだった。しかし、是秀の作品の真に優れたところは、機能の高さにとどまらず、「艶」をもち合わせていたこと。表面に透明な幕が張られているような、とろみのある鉄肌と、美しい鎚目模様、切り銘や、デザインは、芸術家や皇族をも魅了した。彼の作品は道具の枠にとどまらず、美術品の顔を併せもったのだ。
千代鶴是秀作品の数少ない使い手たちは、やや硬めの刃は研ぐのに技術はいるが、「使い心地は最高」と口を揃える。
鉛筆削り用切出。製図を行なう学生のために作った小型の刃物。海老のような形状が特徴。筆箱に入れるためか全長は約90㎜と小型。端整な切り銘と、持ち手部分の鉄の表面仕上げの品の良さが印象的。昭和19年、是秀71歳の作。(土田刃物店所蔵)
鯛を模した切出。鮎など魚をモチーフとした作品を是秀は数多く手がけた。実用的な切出のセオリーから逸脱したいわば「遊び」の作品だが工程や素材の選別は実用品と何ら変わらず、むしろ装飾や、複雑な形状など、手間をかけて作られていることが分かる。昭和20年代、最晩年の作。(台東区立朝倉彫塑館所蔵)
仕事場の前に立つ千代鶴是秀。撮影者は、自宅のあった目黒の宿山にも近い自由が丘の駅前にある藤原写真場の店主、藤原 正。著名人のポートレイトを数多く撮影していた藤原は是秀の風貌を気に入り、何度か撮影を依頼した。藤原写真場は現在も駅前に店を構える。(藤原写真場・藤原正撮影)
仕事場で刃物に研ぎを施す是秀。下の写真は、火床と呼ばれる炉。通常に比べ小型で簡素。炭で火をおこした中に、鉄を入れて、赤く熱してから叩いて、鉄どうしを接合し、形を作っていく。火造りと呼ばれる作業を経て鉄は刃物に適した性質を次第に帯びて行く。
日本の打刃物、受け継がれて来たその豊潤なる世界
鉄同士を接合させて、刃となる硬く脆い「鋼」を、クッションとなる「軟鉄」で保護する。世界でも希有な製法を持つ日本の刃物道具類は、素木のままで完成とする建築や伝統的な木工芸に必要不可欠なものとして、長い年月をかけて磨き上げられてきた。中でも木をうがつ鑿、表面を平らに滑らかにする鉋は、仕上がりを左右する道具として、特に高い精度が求められて来た。
それらがほぼ現在と同様の「完成形」となったのは、江戸時代の中期頃と推測されている。作り手は、ほとんどが無名の鍛冶たち。しかも良い道具ほど、原型を失うまで使い込まれ、遺されることがない。
そのような状況で、先人の上手の作品を古道具屋で見つけ出しては、宝物のように大切にし、特に気に入った鍛治の銘を書き残した千代鶴是秀。そんな彼の特に後年の作品は、美術的要素の高さから、刃物としての出来の良さに比して数多くの作品が使われずに遺されている。その作品群からは、とりも直さず、前の代から引き継ぎ、後世に向けて伝えるべき理が、枯れることのない泉のごとくわき出してくる、と専門家は口を揃える。
数こそ減ったが、是秀の作品を見ることで、鍛冶の技術を受け継ぎ、自らの工夫を加え次代に伝えようとする現代の鍛冶の上手たちをもし是秀が見たら、なんと言葉をかけるのだろうか。
職人衆から芸術家までを魅了した、その作品と人柄
千代鶴是秀をひいきにした人は数多い。新規の注文をほぼ受けなくなった是秀に、長い手紙を書いて鑿のセットを作らせ、その後、息子太郎が初めて作った鉋の使い心地のテストを託された「江戸熊」や明治神宮拝殿の棟梁を務めた野村貞夫といった大工。桜の研究に生涯をかけた笹部新太郎ら文化人。そして朝倉文夫、高村光太郎といった美術界の大立物らも是秀の作品と人柄に魅了され、作品を大切に使い、個展開催に力を貸し、時に彼の仕事場を訪ね、鍛冶仕事を体験した者すらいたという。
是秀は人々が訪問すると、仕事中でも厭わずに応対し、問われるままに刃物の話を続けたと言われる。自らに刺激を与えてくれる人たちとの交歓は、彼にとって、常に新たな作品へフィードバックされ、新たに生まれた作品を彼らに使ってもらうことで、更なる刺激を得ていた。彼は自身と自らに関わりあるすべてを作品作りに捧げ、小さな仕事場で、追求を続けた。その結果、最晩年に至って「天爵」なる、最高傑作を作り出した。
今までもこれからも、彼を越える道具鍛冶は現れないだろうと言われる名声に比して、是秀の暮らしぶりは驚くほど質素だった。だがそれを嘆くことなく、妻とふたり、晩年を穏やかに過ごした名工は、最後に「お礼を心して/楽しく、愉しく(中略)お互いに/明け暮れを/心ち良く/元気に、過しましょ」と書き残し、84歳の生涯を閉じた。
大工道具。その世界をしるために。
打刃物職人
全国の刃物道具鍛冶とその使い手たちを訪ねたルポルタージュ。千代鶴是秀の紹介もあり。
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全国の刃物道具鍛冶とその使い手たちを訪ねたルポルタージュ。千代鶴是秀の紹介もあり。
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●ワールドムック650
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●ワールドムック736
初出:ワールドフォトプレス発行『モノ・マガジン』2011年3月16日号
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