Re:STYLING MONO #6 60年以上経ったいまでも、人々はなぜ「イームズ・チェア」に美しさを感じるのか

#6 イームズ・デザイン


フィンランドのデザイナーであるアルヴァ・アァルトが開発した木材成形合板技術はチャールズ・イームズやアルネ・ヤコブセンらによって、歴史的な名作椅子となった。特にイームズ夫妻はその技術を家具だけではなく、米海軍の依頼を受けて骨折などで負傷した兵士の脚部を固定する“副え木”にも活用し、いまでもその芸術的形状が高い評価を集める『レッグスプリント』を開発。20世紀半ばに花開いた新技術、新素材から生まれた新しいデザインの時代、「ミッドセンチュリー・デザイン」を代表するデザイナーとして語り継がれている。

プライウッド(成形合板)と共にイームズの名を一躍世に知らしめたのが1951年に発表された「イームズワイヤーチェア」。ワイヤーの折り曲げと接合によって形作られるこの技術はデザインにおけるアメリカ初の特許取得となった。

60年以上経ったいまでも、人々はなぜイームズ・チェアに美しさを感じるのか


デザインと芸術作品はその根底にある人間の、意欲の方向性に大きな違いがある。芸術は内なる自分の表現を発露するための行為であり、そこに「人からどう見られるのか?」という発想は介在しない。というか、してはならない。一方、デザインは「人がどう快適に使えるのか」が、まず発想のスタートにある。というか、そうあらねばならないものだ。イームズ・チェアはプライウッド(成形合板)という素材があってこそ生まれた椅子である。成形合板とはベニア板をプラスチック性の接着剤で重ねて貼り合せた多層構造の板で、軽量であると同時に自由な形での加工が容易な素材だった。当時としては革新的な技術であり、プレス機を使った機械加工で3次元の面を簡単に成形することができるようになった。

まだプラスチック素材が一般化する前の時代の話である。そして、成形合板はデザイナーにとって腕を振るうべき素材であり、同時に大量生産も可能な素材であった。特筆すべきは全体のフォルムに近い形の成形を施すことでそれまでの木製品には不可欠だった連結部品を省略することができたこと。このアイデアによって製品自体の重量が軽減されることになった。パーツごとの修理も簡単で、工場の負担だけではなく大量生産による低価格化でユーザーの負担も軽くした。成形合板にイームズ夫妻が与えた形は機能的で美しく、以後の現代家具デザインの基礎となったのである。

事実、ニューヨーク近代美術館はイームズ・デザインのプライウッドチェアを永久コレクションとし、タイムマガジン社は「Best Design of the 20th Century」と最上級の賛辞を浴びせた。しかし、何より賞賛されるべきは椅子としての快適性である。座面や背もたれに配された人間工学的カーブはそれまでの木の椅子からは得られない心地よさがあり、その感性は時代を超えて褒め称えられている。


ミッドセンチュリー・デザインについて言及を忘れてはならないのはナチスの迫害を逃れてアメリカに渡ったバウハウスの人々。彼らによって、アメリカンデザインの発展が促されたことは事実であり、デザイン大国の礎に大きく影響を与えた。

イームズ プライウッドラウンジチェア メタルレッグ(LCM)1940年にエーロ・サーリネンとの共同名義で応募したMoMA(ニューヨーク近代美術館)『オーガニック家具デザイン・コンペ』において、イームズ夫妻とサーリネンがデザインしたオーガニック・アームチェアは高い評価を得て受賞した。この初期型モデルはしかし、いくつかの障害や未完成部分があって製品化はなされなかった。世界大戦の影響が少なくなかったのだろうと推察される。終戦を迎えた1945年、満を持して「イームズプライウッドラウンジチェアLCW」が量産モデルとして登場。以後、イームズ夫妻の手によって名作家具が次々と世に送り出されることになる。

紹介しているイームズプライウッドラウンジチェアLCMは、1945年デザインの初期型モデルLCWの脚部がメタルに変更されたもの。金属と合板部の接点にゴム製のショックマウントを採用し、工場生産性と強度の問題が解決されている。その機能をデザインで処理した美しさも見事である。この椅子は1957年までハーマンミラー社で製作され、近年になって再び同社から復刻された。(ライトアッシュ)

ミッドセンチュリー・デザインはなぜ20世紀半ばのアメリカで誕生したのか


 第二次世界大戦後のアメリカが得た最大の利益は、ほぼ無傷の国土が残ったことではないだろうか。焦土と化したヨーロッパが復興に向かう中、アメリカには無傷の生産力が残った。同時に戦争によって産業技術が洗練され、生産性の向上や新素材の開発が積極的に進められたことで、アメリカは世界産業の中心に躍り出たのである。低コストで大量生産を可能にする技術はアメリカが世界をリードし、戦後の復興機運は世界中での需要を喚起する追い風ともなった。

 一方で、アメリカにはナチスの迫害を逃れたバウハウスの人々が多数やってきていた。バウハウスのデザイン活動を大きく飛躍させたマイヤーが、公然たる共産主義者であったことで、ナチスに敵視されていたからである。バウハウスの人々によってアメリカがデザインの本場になったことで、1940年代以降のアメリカ製品からは優れた工業デザインが多数誕生することになった。

 こうして1940~60年代にかけてアメリカでムーブメントとなったインダストリアルデザインが、デザイン史における『ミッドセンチュリー』となるのである。

 歴史的に見て、軍需産業は多くの名品誕生のきっかけとなっている。当時、自由な曲線や曲面を低コストで量産できる成形合板の可能性に期待し、その実験を続けていたイームズ夫妻も、米海軍からの依頼で実用的な合板製品の開発に着手する。彼らがデザインしたのは負傷した兵士の脚部を固定する『レッグスプリント』という製品だった。ギブスなどの手厚い治療が困難な戦地において、このレッグスプリントという副え木は、包帯や布だけで負傷した足を固定する機能を持っていた。骨折時などにおいて迅速な患部固定を実現したのである。折しも太平洋戦争時が勃発して米海軍からは大量の発注があったという。

 イームズ夫妻にとって幸いだったのは、軍部との開発現場で当時の最先端技術を学べたこと。イームズ・チェア初期型モデルの問題点をこの時期に解消して、戦後すぐに量産モデルの「イームズプライウッドラウンジチェアLCW」が発表されることになったのである。ミッドセンチュリー・デザインの隆盛、その代表とされるイームズ・デザインからは、そんな背景が見えてくる。


成形合板とは別に、イームズ・チェアを代表する素材がFRP素材。この素材は、大戦中は軍事目的で使用され大戦後に民間へとスピンオフされた。ちなみにFRPとはガラス繊維で強化したプラスチックのこと。夫妻は家具への適応性にいち早く着目していた。


初出:ワールドフォトプレス発行『モノ・マガジン』2011年4月2日号


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  • 1982年より㈱ワールドフォトプレス社の雑誌monoマガジン編集部へ。 1984年より同誌編集長。 2004年より同社編集局長。 2017年より同誌編集ディレクター。 その間、数々の雑誌を創刊。 FM cocolo「Today’s View 大人のトレンド情報」、執筆・講演活動、大学講師、各自治体のアドバイザー、デザインコンペティション審査委員などを現在兼任中。

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