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■ビールの歴史
ビールとは、お酒の3つの分類の内、「醸造酒」の中のひとつです。同じ醸造酒の仲間であるワインの歴史については、連載のVol.8「ワインの歴史」をぜひご覧ください。
今回は、ワインとは原料の異なる「ビール」の歴史についてご紹介します。
ビールは、ワインと同じ位長い歴史があるお酒です。人類の歴史の中でビールは人々の暮らしにも根ざしたお酒として広まり、今では世界中で最も多く飲まれているお酒となっています。
今回は、ビールの起源から、現在に繋がるビールの体系が出来るまでの重要な歴史的事実についてご紹介します。ビールの歴史としてこれは知っておくべき、という基本的な内容をまとめました。
■①ビールの起源
ビールの起源は諸説あり、一説には農耕が始まった紀元前7000年頃から存在したともいわれています。
現在の所、ビールに関する最も古い記録は、紀元前3000年頃にメソポタミアに住んでいたシュメール人が残した「モニュマン・ブルー」と呼ばれる粘土の板碑で、ここには当時のビールのつくり方が描かれています。
メソポタミアでは、収穫した麦を粉にしてパンを焼いたり、水を加えてお粥にして食べていたようです。そして、残った食べ物に自然界に存在する野生酵母が入り込み、自然に発酵してお酒になったのが、ビールの起源と言われています。
ワインの歴史にもあった“偶然”という奇跡のタイミングが、ビールの歴史でも起きているのです。
気温が高いこの地方では、生水は飲用に適さないため、ビールは安全で栄養分が豊富な飲み物としても人々の間に広まっていきました。
ビールの原料である麦は、ブドウやフルーツのように原料自体には糖分がないため、パンやお粥にするという工程(糖化)を経て、そこに酵母が加わることでお酒になりました。放っておいてもお酒に変化するワインとは大きく異なる点ですが、生産地域が限られるブドウよりも、世界中で作ることができる麦を原料とするビールは人々の身近なお酒として世界中に広まっていきました。
■②修道院
メソポタミアで誕生したビールは、麦の耕作技術と共に、エジプト、ローマ、ギリシャ・ローマへと広まっていきました。ギリシャ・ローマ時代には、ビールよりもワイン文化が主流となっていたと考えられていますが、北ヨーロッパからゲルマン人が大移動によって南下してくることで、ローマでもビール造りが広まっていきました。
その後、中世ヨーロッパではキリスト教の「ビールは液体のパン」「パンはキリストの肉」という考えから、キリスト教の修道院でビールが盛んに造られるようになりました。「キリストの血」といわれたワインと同様にビールも修道士によってキリスト教と共に世界中に広がっていきます。
また、当時の修道院は、豊富な知識と経験から品質の高いビールを造っていて、ビール全体の品質向上にも貢献したといえます。修道院の中には、現代のビール工場に近い設計がされていた所もありました。
例えば、現在のほとんどのビールには「ホップ」が使われていますが、これも修道院から始まったといわれています。(736年に北ヨーロッパ・ハラタウ地用の農場でのホップ栽培が最古の記録)
中世ヨーロッパでは、「グルート」と呼ばれる複数のハーブや薬草をブレンドしたものが、発酵を安定させるなどの目的で加えられていました。グルートを使ったビールは薬草の知識が豊富だった修道院で発達しました。ホップは修道院で薬用として栽培されていましたが、ビールにさわやかな風味を加え、雑菌の繁殖を抑制する効果がわかり、その後ビールにも添加されるようになりました。1079年の記録では、ドイツにあるザンクト・ルペルツベルグ修道院でビールにホップを添加したと記されています。
■③ビール純粋令
1516年ドイツ・バイエルン地方の君主であったウイルヘルム4世は、「ビール純粋令」を発令しました。
その内容は「ビールは大麦の麦芽とホップ、水だけで造られたもの」と定義し、副原料や添加物の使用を一切禁止したものでした。目的は、粗悪なビールを一掃すること、そしてパンの原料となる小麦が不足していたため、ビール造りに小麦を使わせないようにするためでした。この「ビール純粋令」は世界最古の食品に関する品質保証の法律として有名です。これによってその後のドイツビールの評価は高まることとなりました。
第二次大戦後、EC加盟国からビール純粋令に対して保護主義にあたるとの批判が提訴され、輸出・輸入されるビールは対象外になりました。しかし、今もなおドイツでは、国内で製造される下面発酵ビールにおいてはこの法律が守られていますし、多くのドイツ国内のビールメーカーはビール純粋令に従ってビール造りをしています。その理由は、ビール純粋令に沿って醸造したビールは、消費者から支持が高くブランド力があると考えられているからです。
■④ビールの進化と産業革命
その後、世界中で様々なスタイルのビールが造られるようになりました。
15世紀にドイツで冬期に醸造する下面発酵の「ラガービール」が誕生、17世紀終わりにはイギリスで「ペールエール」、18世紀後期には「スタウト」登場し、1842年にはチェコで「ピルスナースタイル」が開発され、すっきりして飲みやすい味が好まれ、世界中の主流となりました。
ビールの進化を語る上で大きな変革のきっかけを作ったのが「産業革命による技術革新」でした。ビールに関係する主なものは以下の3つです。
●1865年(フランス)ルイ・パスツールによる低温加熱殺菌法(パストリゼーション)の発見により長期保存が可能になりました。
●1875年(ドイツ)リンデによる「アンモニア冷凍機」の発明により下面発酵ビールが時期を問わず作れるようになりました。工業的にビールを造ることを可能にし、品質を向上させることにも貢献しました。
●1883年(オランダ)カールスバーグ醸造所のハンゼンによって酵母の純粋培養法が確立、優秀な酵母だけを分離できるようになり、ビールの腐敗を防ぎ安定したビール造りが可能となりました。