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日本酒とウイスキーがコラボレーションした純米吟醸酒です。株式会社枡田酒造店の銘酒「満寿泉」を、ブレンデッドスコッチウイスキーシーバスリーガルの樽で熟成しています。
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■日本酒とは?日本酒と清酒の違いは?
「日本酒」というと「無色透明」「米から出来た醸造酒」というイメージが強く、「清酒(せいしゅ)」という呼び方も聞いたことがあると思います。
そこで、そもそも日本酒って何? 清酒と日本酒は何が違うの? という基本から始めましょう。
国税庁発表(令和2年6月)の資料によると、「清酒」(Sake)とは、海外産も含め、米、米こうじ及び水を主な原料として発酵させてこしたものを広くいいます。「酒税法(昭和28年法律第6号)」により、原料や製法が定義されています。
そして、「清酒」のうち 「日本酒」(Nihonshu / Japanese Sake)とは、原料の米に日本産米を用い、日本国内で醸造したもののみをいい、「酒類業組合法(昭和28年法律第7号)」に基づく「酒類の地理的表示に関する表示基準(平成27年10月国税庁告示第19号)」により、地理的表示(GI)として保護されています。
地理的表示「日本酒」については、海外でも保護されるよう国際交渉等を通じて働きかけを行っています。
【地理的表示(GI:Geographical Indication)とは】
地理的表示は、WTOの協定が定める知的財産権のひとつであり、特定の産地ならではの酒類の特性(品質等)が確立されている場合に、当該産地内で生産され、一定の生産基準を満たした商品だけが、その産地名を独占的に名乗ることができる制度です。
結論をいうと、現在では「日本酒」と「清酒」という言葉の定義は異なります。
しかし今回の記事では、「日本における酒」「米から出来た醸造酒」という大きな意味合いで「日本酒」という言葉を使ってその歴史についてお伝えしたいと思います。
■日本の酒の起源
日本における「酒」の誕生はいつなのかというはっきりした根拠はありませんが、縄文時代の遺跡で発掘された土器から山ブドウの種が見つかっていることなどから、縄文時代には山ブドウや木の実が自然発酵した酒(のようなもの)があっただろうと考えられています。
日本酒=米から作られた酒と考えた場合には、一般的にその発祥は今から約2000年前、稲作の伝わった弥生時代だろうといわれます。
しかし、近年では縄文時代にはすでに稲が栽培されていたという説もあり、明確にはなっていません。
米を原料としたお酒に関する記述は、奈良時代のほぼ同じ時期にふたつの製法についての記述があります。
ひとつは「大隅国風土記」(713年=奈良時代:710年-794年)です。米を口の中でよく噛み、唾液に含まれる酵素で糖化し一晩以上おくという方法で造る「口噛みノ酒(くちかみのさけ)」です。
もうひとつは「播磨国風土記」(716年頃=奈良時代:710年-794年)の中に登場する「カビ(麹)の酒」です。干し飯が雨に濡れてカビが生えて、それを用いて酒を造ったという内容です。
当時の酒は、現代の日本酒のような無色透明な酒ではなく、白く濁っていて『どぶろく』のような状態であったと考えられます。
日本酒の歴史や起源について考える時、「米を原料とした酒」であると同時に「麹を用いた酒造法で造られた酒」という大きな特長も見逃せません。
では、麹を使った酒造法はどこから伝わったのでしょうか? これについても様々な意見があります。中国や朝鮮半島から伝わったという説や、伝わってきたのではなく日本独自に開発されたという説もあります。
ひとつの見方ではあるのですが、酒造りに使われている「麹」の種類から考えると、現在中国や朝鮮半島で酒造りに用いられているのは「麦麹」がほとんどであるのに対して日本酒は「米麹」が使われています。
そして、日本には麦麹を使った酒が存在した記録がないことから、麹による酒造法は、日本独自に開発されたという考え方もあるのです。
■神と神話と酒
日本酒の歴史を考える時に、神事や神話を外すことはできません。
3世紀(古墳時代:3世紀中頃 – 7世紀頃)に書かれた「魏志倭人伝」には、日本では喪にあたって弔問客が酒を飲んでいた事や、豊作などを祈願する際に酒を捧げる風習があることが記されています。
日本において酒と神事が深く関わっていた根拠とされています。
また、出雲地方に残る神話に残っている「日本で最初に造られたお酒」は、スサノオノミコトが八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するために造らせた酒とされています。
この神話に出てくる「八塩折之酒(やしおりのさけ)」は、古事記や日本書紀の中に登場しています。しかし、八塩折之酒は米が原料の酒ではなく、果実や木の実などを使ったものだったのではないかともいわれています。
さらに、古事記や日本書紀などには、お酒造りにまつわる様々な神が登場します。例えば、米を使って酒を醸したと記されている神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつのひめ)、酒造りを伝えたとされる久斯神(くすのかみ)などです。
そして現在も全国各地には、お酒の神様を祀った神社がたくさんあり、お酒造りにかかわる人々の信仰を集めています。
■ヨーロッパより先進的だった!? 日本酒の製造技術
日本では、持統3年(689年=飛鳥時代:593年-710年)宮内省の造酒司(さけのつかさ)に酒部(さかべ)という部署が設けられていました。
つまり、前述の奈良時代に書かれた「米を原料とした酒」に関するふたつの記録よりも前から、日本では朝廷によって酒造りが行われていたのです。
そして神に捧げる酒でもあった日本酒は、平安時代初期までは主に朝廷直属の酒造組織で造られていたことが記録に残っています。
『令集解』(868年頃=平安時代794年-1185年)によれば、宮内省の中に酒を製造する「造酒司」という役所があり、長官の「酒造正」(さけのかみ)は正六位の冠位であり、60人の酒部(さかべ)を指揮して酒造を行っていたとされています。
また、康保4年(967年=平安時代794年-1185年)の『延喜式』には、主に造られていた酒が米と麹を数回に分けて仕込む濃い味の酒であったことや、後世の段仕込みの原型がうかがわれる記述、醪を酒袋に吊るして搾ったり上澄みを採ったりという技術についても書かれています。
さらに他にも小麦を使った酒や麹を多く使った甘口の酒、水で割った下級酒など10種類ほどの製法があったとされています。
その後、僧侶が寺院で日本酒造りを始めるようになりそれらは「僧坊酒(そうぼうしゅ)」と呼ばれました。日本酒造りは寺院でその技術が洗練されていきました。
その結果、現代の「濁酒(どぶろく)」のように白く濁った状態ではなく、濁り部分を濾して上澄みだけを飲む「清酒」が誕生したといわれています。
その中でも奈良正暦寺で造られた「菩提泉」が日本最初の清酒とする説もあり、正暦寺「日本清酒発祥之地」の碑が建っています。※清酒の誕生についても諸説あります。
長享3年(1489年=室町時代:1336年-1573年)に書かれた『御酒之日記(ごしゅのにっき)』では、正暦寺における酒造りに関して詳しく記されており、すでに今日にも繋がる酒造法である、掛米と麹米の両方に使う「諸白(もろはく)」や「段仕込み」、乳酸菌発酵の技術、火入れによる「低温加熱殺菌」、木炭による濾過などが行われていたとの記述があるのです。
中でも「低温加熱殺菌法」は、フランスのルイ・パスツールによる開発(1876年)が有名ですが、日本ではそれよりも300年以上も前に、火入れによる低温加熱殺菌の技術が日本酒造りに取り入れられていたのが驚きです!
日本の酒造りでは、このように古くから高い製造技術はあったものの、現在のように無色透明な「清酒」の製造量もとても少なく、有力貴族など極めて限られた階層の人しか口に出来ず、一般の多くの民は「濁酒(どぶろく)」のような白く濁った状態の酒を飲んでいました。
■日本酒のその後
室町時代も後半の戦国時代になると、寺院の力が減退することと共に僧坊酒が衰退し、伊丹・池田などの酒郷が台頭しました。
慶長5年(1600年=安土桃山時代:1573年-1603年)には、摂津国大坂の鴻池善右衛門(こうのいけぜんえもん)が、室町時代からあった段仕込みを改良し、麹米・蒸米・水を3回に分ける「三段仕込み」を開発しました。
これにより効率的に清酒を大量生産できるようになり、やがて日本国内において清酒が本格的に一般大衆にも流通するきっかけにもなりました。
江戸時代になると、大量の米を使う日本酒造りは、米を中心とする食料の供給と常に競合するため、米相場や食糧事情によって、幕府によってさまざまな形で酒造統制が行われました。
例えば、明暦3年(1657年=江戸時代:1603年-1868年)には、初めて酒株(酒造株)制度が導入され、日本酒造りは免許制となりました。
また、延宝1年(1673年=江戸時代:1603年-1868年)には酒造統制の一環として寒造り以外の醸造が禁止された(寒造り以外の禁)ということもありました。
明治時代(1868年-1912年)後期からは、酒は瓶で売られるようになり、生産された町や村以外でも流通するようになりました。
明治32年(1899年=明治時代:1868年-1912年)には自家製酒=濁酒(どぶろく)等の製造と消費は禁止されました。この措置は、政府の歳入を増やすために酒税のかかる清酒の需要を増やす事が目的でした。
その後の画期的な技術革新があったのは、昭和5年(1930年)頃です。「竪型精米機」の登場によって精米技術が飛躍的に発達し、吟醸酒を造るのに欠かせない50%以下の精米歩合(重量比で玄米の半分以上が糠になるほど外周部を削った白米)を行うことが出来るようになりました。
竪型精米機の普及はとても早く、開発されてから3、4年の内に品評会出品酒造場のほとんどに導入されました。
その後の日本では、1970年代~80年代の「淡麗辛口」ブームや1980年代のバブル時代の「吟醸酒、大吟醸酒」ブーム、平成に入ると原点回帰ともいえる「きもと造り」の復活、「無濾過生原酒」「スパークリングsake」などが登場するなど、酔うための酒から「愉しむ酒」へと人々の需要も変化していきました。
さらに、世界で和食がブームになったことや、日本の「國酒」を海外へという活動も活発になったため、2000年頃から日本酒の輸出量は約2倍に増えました。
このように、歴史も長く高い製造技術が世界でも認められている日本酒は、まさに日本の伝統と文化を表すお酒だと思います。これからも日本酒がどのように発展いくのか、とても楽しみです。