道北の防衛警備を担当する第2師団(司令部:旭川駐屯地)は、2022年度末までに即応機動化を目指した大改編を行いました。その象徴となったのが、2022年3月17日に新編された第3即応機動連隊です。
第3普通科連隊を母体として、16式機動戦闘車を運用する機動戦闘車中隊や120㎜迫撃砲RTを運用する火力支援中隊を加えて、大きく生まれ変わりました。最後の第3普通科連隊長である山﨑潤1等陸佐がそのまま新第3即応機動連隊長へとスライドし、部隊の整備、錬成を行ってきました。
この第3即応機動連隊が拠点としているのが、日本最北の駐屯地である名寄駐屯地(北海道名寄市)です。もともと第3普通科連隊が拠点としていました。
なお、厳密にいうと、最北の陸自拠点としては稚内分屯地があります。しかしここは「駐屯地」よりも規模の小さい「分屯地」です。よって、最北の「駐屯地」としては、名寄駐屯地で間違いありません。
1953年5月24日、東西冷戦時代のまさに最前線であった道北の地に、名寄駐屯地が作られました。当時の主力となっていたのが警察予備隊の第3連隊です。もともとは宇都宮駐屯地(栃木県宇都宮市)や高田駐屯地(新潟県高田市)に配置されていた部隊でしたが、名寄駐屯地へと移駐しました。
1954年7月1日、陸上自衛隊創設とともに第3連隊は第3普通科連隊へと改編されました。最も北に位置する部隊であるため、別名「朔北(さくほく)連隊」とも呼ばれることになります。ソ連軍の着上陸侵攻を最初に阻止する重要な任務を与えられていました。
時を経て、東西冷戦はあっさりと終結し、2000年代以降になると、中国が新たな脅威となりました。その一歩で、ロシアの脅威は冷戦当時よりは減じましたが、まだまだ存在します。この2正面に備える必要が出てきました。そこで、北海道の防衛警備に当たる各部隊は大きく姿を変えていくことになりました。
目指したのは、機動力を向上させ、即応力を高めることでした。これまで通り、ロシアの脅威に備えつつも、日本南西諸島部において有事が発生した場合、そちらへと展開する。この戦術を遂行するため、北海道を守る第2師団、第5旅団(司令部:帯広駐屯地)、第11旅団(司令部:真駒内駐屯地)は即応機動化されることになりました。
ちなみに「機甲師団」たる第7師団(司令部:東千歳駐屯地)は、変わらずに戦車を中心にがっちりと北海道全域を守ります。しかしながら、やはり南西で有事が発生した場合は、展開することになります。すでに、九州エリアへと戦車を派遣する訓練等を行っています。
こうして2023年の今年、名寄駐屯地は創立70周年を迎えました。それを記念し、2023年6月4日、名寄市内の西三条通りにて市中パレードを行いました。
記念日当日は朝から雨が降るあいにくの空模様となっていましました……。
しかし、雨にも負けず、多くの市民が名寄駐屯地に所在する各部隊のパレードを見ようと詰めかけました。
パレード開始前に、道路上において、第2偵察隊のオートバイドリルや名寄駐屯地の隊員らによる格闘展示が行われました。これ以上ない前座に、会場は大盛り上がり。そこで、いよいよパレードスタートです。
オートバイドリルや格闘展示が行われ、沿道も観客から歓声が沸いた。
観閲台に立つのは2代目の第3即応機動連隊長であり名寄駐屯地司令を兼務する藤田明大1等陸佐です。その前をさまざまな車両が通過していきます。
注目はやはり第3即応機動連隊です。創設時は、3個普通科中隊編成でしたが、2023年3月16日に第4中隊が新編され、4個普通科中隊編成となりました。全国の即応機動連隊の中で、4個普通科中隊編成はここだけです。
普通科隊員を乗せた96式装輪装甲車、そして16式機動戦闘車が等間隔に整然と並んで観閲官の前を通過していきます。
引き続き、名寄駐屯地に所在する、第2特科大隊の自走155㎜りゅう弾砲や第4高射特科群の地対空誘導弾・改良HAWK(ホーク)もパレードしました。参加車両は、約100両にもなりました。
パレード終了後、廃校となった豊西小学校のグランドを使い、「名寄クルーズ2023」と題したイベントが行われました。
これは、各部隊による訓練を市民が歩きながら見学していくという一風変わった催しです。ここでも人気があったのは16式機動戦闘車です。
そしてその16式機動戦闘車ががっちりと守る中、隊員たちが、96式装輪装甲車から下車展開してきました。その手には最新式の20式小銃が握られていました。
部隊だけでなく装備も新しくなった第3即応機動連隊及び道北の要石である名寄駐屯地に注目していきましょう。