滋賀県高島市にある今津駐屯地。
歴史は古く、保安隊時代の1952年に開庁しました。その当時今津特別訓練隊が駐屯しておりましたが、1954年に陸上自衛隊が発足するとともに、同部隊は第3特車大隊へと改編されました。
ここでいう“特車”とは、戦車の事です。戦後間もなくのことなので、なるべく戦争の匂いを排除すべく、この“特車”という言葉に置き換えられました。
そして1962年、第3特車大隊は、第3戦車大隊へと改称しました。
この時より、今津駐屯地は、本州における戦車王国と呼ばれるようになります。
というのも、その1962年、さらに第10戦車大隊、第13戦車大隊(現在の第13戦車中隊)が今津駐屯地にて新編されたからです。3つもの戦車大隊が顔を揃えるのは、教育部隊である富士学校(富士駐屯地)をのぞけば、本州では今津駐屯地だけです。
その理由は恵まれた訓練環境が挙げられます。今津駐屯地に隣接する形で、あいばの演習場があります。ここでは、戦車による実弾射撃も行えるのです。1965年に第13戦車大隊は、日本原駐屯地(岡山県)へと移駐しますが、引き続き、同演習場を使っていきます。今津駐屯地には2つの戦車部隊が存在し、冷戦期の本州の守りについていました。
2023年9月3日、今津駐屯地にて、創立71周年記念行事が行われました。防衛省(庁)自衛隊よりも長い歴史を誇るのはスゴイですね。ですが、今津駐屯地から戦車部隊はすべて消えようとしているのです。
まず、2023年3月15日、第3戦車大隊が廃止されました。この部隊は千僧駐屯地(兵庫県)に司令部を置く第3師団(司令部:千僧駐屯地)の唯一の戦車部隊でした。
部隊だけでなく、配備してきた74式戦車も合わせて引退しました。その代わりに第3偵察隊と併合され、第3偵察戦闘大隊へと生まれ変わりました。
そして主力装備を16式機動戦闘車へと改めました。引き続き今津駐屯地に駐屯はしますが、もはや戦車部隊ではなくなってしまったわけです。
そして2024年3月、今度は第10戦車大隊の廃止も決まりました。守山駐屯地(愛知県)に司令部を置く第10師団唯一の戦車部隊でしたが、こちらも第10偵察隊と併合し、第10偵察戦闘大隊へと生まれ変わります。しかしながら、今津駐屯地を離れ、豊川駐屯地(愛知県)へと移駐します。
よって来年度より、今津駐屯地から2つの戦車部隊が消えてしまうのです。かつての戦車王国は、実にあっさりと終焉を迎えることになります……。これは非常に残念なことです。
そこで、駐屯地記念行事では、第10戦車大隊及び74式戦車との別れがひとつのテーマとなっていました。そしてそれは新たな時代の幕開けでもあり、第3戦車大隊及び16式機動戦闘車がその象徴として紹介されました。
来場者の1番人気は、もちろん74式戦車でした。本部隊舎近くの装備品展示エリアには74式戦車が置かれ、常に人波が絶えることはなく、観閲行進でも、来場者は拍手と歓声で迎えました。
第10戦車大隊のシンボルマークは「金のシャチホコ」です。これは、第10師団司令部のある名古屋のランドマークである名古屋城大天守の上に載せられている「金のシャチホコ」に因んでします。大きな丸い目をしており、その愛らしいデザインにファンも多いキャラクターです。
その「金のシャチホコ」を砲塔に描いた74式戦車は、最後となる堂々たる行進を見せてくれました。観閲官の前を通り過ぎる時の戦車乗員は、全員姿勢を正し、車長はビシッとした敬礼姿を見せてくれました。
そこを通り過ぎ、待機位置まで戻る際には、そうした姿から一転し、来場者に対し笑顔を見せ、大きく手を振っていました。
その後、第3偵察戦闘大隊と第10戦車大隊を中心とした新旧部隊コラボによる訓練展示が行われました。威力偵察(攻撃を伴う偵察)を行うため、16式機動戦闘車が87式偵察警戒車を伴い、これでもかと空包射撃を行いながら会場に進入してきます。
そしてその16式機動戦闘車を支援するため、74式戦車も登場。ご自慢の105㎜戦車砲の空包射撃を行っていきました。こうして、見事敵を制圧し、この日の訓練展示は終了しました。
これにて、第10戦車大隊及び74式戦車は、ホームベースである今津駐屯地へと別れを告げることになったのです。