Re:STYLING MONO #13 歴史的な衣料品としての道を歩み始めたアロハシャツ

#13 アロハシャツ


プロダクトデザインというのは不思議なもので、しばしば新素材の実用化と共に劇的な名作を生み出すことがある。たとえばアメリカ海軍がアルミニウムの実用化を踏まえて作ったエメコチェア、圧縮成形合板技術の実用化を契機に誕生したレッグスプリントやイームズ・チェア。そういえばイームズは強化プラスチックのABS樹脂が実用化されるとすぐにシェルチェアも生み出した。

そして今回の主役であるアロハシャツもまた、1905年に英国で量産が始まったレーヨンという素材を抜きには語れない存在である。人絹という化学技術が生んだキャンバスで、アロハシャツは歴史的な衣料品としての道を歩み始めたのである。アロハシャツが世界に広まった要因の一つとして考えられるのはハワイへの航路が海路と空路によって確立されたから。スーベニールが文化の拡散に寄与したのである。

ハワイのモチーフが工業化社会の憧れになった日


 都市や文明が最初に失う色は“青”である。産業革命以降、モータリゼーションや気候的なものも相まって、この色をすっかり失ってしまったロンドンでは、いまでもヒースロー空港を飛び立った飛行機が分厚い雲を突き抜けて青空の中に入ると拍手が起こる。20世紀に入って多くの都市が青空を失った。

そして都市に住む多くの人々が“青”を求めて南の島へと向かった。都市が動けば地方も動く。楽園のムーヴメントはこうやって始まったのである。サンフランシスコからハワイまで、最初の観光船の就航は「マトソン・ライン」という航路であった。1930年代から1940年代まで、まずはアメリカ人たちがハワイの青空に魅了された。ただ、戦争とそれに伴う航空技術の急速な発達で、50年代以降は旅客機による空路がハワイへの一般的な渡航方法となったのは、アロハシャツの文化史という観点から見たら残念な話である。

なぜなら、マトソン・ラインの船旅の中で饗されたレストランのメニューに描かれたハワイの楽園アートが、後に「メニュー柄」としてアロハシャツのプリントに採用され、好事家たち垂涎の的になったからである。いずれにしても、ハワイの楽園イメージとモチーフは、スモッグの空の下で暮らす人たちの憧れになった。60年代以降の日本人もまた、その空の色に魅了されていく。

ヤシの木やハイビスカス、パイナップルといった植物の柄が楽園のイメージとしてもてはやされたが絵柄のタッチはそれを描く画家の筆の違いでさまざまな表情がある。まるで絵画のコレクションのようだ。

日系移民とハワイアンシャツについて


アロハの島のシャツがアロハシャツに

 ハワイへの日系移民の歴史は明治18年(1885年)に始まる。戦争によるハワイの人口減少によって労働力不足が起こり、移民の必要性が増したのだった。日本政府は当時、ハワイ政府との間で移民に関する条約を結び、日本からの最初の移民労働者は「官約移民」としてハワイの地を踏んだ。中国、フィリピンなどのアジア諸国を中心に、遠くはヨーロッパからの移民も多かったという。いまでもハワイ在住の人にエスニック・バックグラウンドを尋ねると、数カ国の国名がスラスラと出てくる。現代のハワイは混血の文化なのである。

 移民史については、現代の日本人にはほとんど知られていない苦難の歴史があるのだが、ここではそれについての記述は避ける。ただ、明治から大正にかけての日本人が普通に持っていた着物がハワイに持ち込まれ、低賃金の中で着る物もなく、仕方なく着物をバラしてシャツを作ったという推測は決して無理のあるものではない。常夏の気候を考えたら、着物を着る機会などほとんどなかったであろうし。いまでも目にする和柄のアロハシャツは、こういう理由からハワイの地に誕生したのである。特に1900年にハワイが米国領となり、世界的に戦後の景気が復興した1950年代までの50年あまりの間、アロハシャツの文化はじっくりと、ハワイ移民の間で醸成されていったのである。

 ハワイへの観光が最初に盛んになったのは、アメリカからの「マトソン・ライン」という船便だった。しかし船旅では帰国の際に南国のフルーツや植物を持ち帰ることは不可能であり、自然発生的にハワイのシャツがお土産になった。言葉が通じない最初の土地に行ったとき、まず憶えるのは「こんにちは」という言葉。英語圏のハロー、中国語圏のニイハオ、フランス語のボンジュールにあたるハワイの言葉は「アロハ」であり、

この「アロハ」の国のシャツを『アロハシャツ』として現地の人が売り出したのだった。利に敏い中国人のビジネスマンだったエラリー・チャンという人物がすぐさまこのアロハシャツという言葉を商標登録したという記録も残っている。したがって、一般的な呼称は『ハワイアンシャツ』とするのが正解なのである。いずれにしてもアロハシャツは、ハワイを代表するお土産になったのである。

『サンサーフ・スペシャル』ブランドの和柄シャツ。鯉の滝登りをプリント。着物がルーツであることがよく判るデザインである。

おそらく日系人が経営していた「むさしや」ではかなり古くからアロハシャツが売られていたのだという。小僧のイラストが可愛いが現存する資料としては最古の部類に属する貴重なもの。(サンサーフ所蔵写真)

ベトナムで戦った米軍兵士に与えられた休暇は「R&R」(レストアンドレクレーション)と呼ばれ、タイや沖縄、日本、そしてハワイが人気になっていた。休暇を終えた兵士たちの多くはアロハシャツ姿で戦地へと戻った。下は兵士に与えられる休暇パスポート。

エラリー・チャンによるアロハシャツの商標登録が当時の現地にどういう影響を与えたのか詳しいことは判っていないが、商標期限後の50年以上経ったいまではハワイアンシャツでもアロハでも、呼び名は使う側の意識に委ねられている。

人絹レーヨンがアロハを美しく変貌させた

 中国からの絹はヨーロッパにおいて高級品だった。その手触りは貴族のためだけのものであり、庶民にはとても手が届くような存在ではなかった。記録によれば1884年にフランスで化学薬品を使った人工的な絹が試作され、1905年にイギリスのコートルーズ社が“レーヨン”という名前で工業生産を開始した。この独特の手触りはたちまち人気となり世界へ広まっていった。遠くハワイにレーヨンが届いた年代は正確には判っていないが、製品としてアロハシャツにレーヨンが用いられるようになるのは1930年代に入ってから。レーヨンが安価になってからだろうと推察される。

 そしてこの時期にアロハシャツはちょっとした変貌を遂げる。それはレーヨンによるビビッドな発色で、アロハシャツの図柄の重要性が再認識させられるようになったからだ。それまでの楽園柄のアロハシャツはコットンや麻を使ったものが多く、それ以外は日系移民の着物をバラして作った絹や縮緬の和柄や、日本から輸入された反物で作った自然素材のシャツであった。一部には友禅のような高級生地もあったという。

 こうしてレーヨン素材はまるで絵画のキャンバスのような役目をアロハシャツに与えることになった。事実、何人かのテキスタイル・デザイナーが米本土から移住してシャツのデザインを手がけている。アロハシャツ黄金期の到来である。

 東洋エンタープライズの『ケオニ・オブ・ハワイ』シリーズのアロハシャツには、この当時最も活躍していたデザイナー、ジョン・メイグスの作品が復刻されている。ブランド創立当時、ジョン・メイグスは高齢ながらも存命で、新たにデザインを依頼した作品も何点かあり、まさに本物中の本物が同社によって販売されている。決して無関係とはいえない日本の地で、アロハシャツに再び命が吹き込まれていることに、郷愁にも似た懐かしさを覚えてしまう。

R&Rで訪れた米兵たちを歓迎するフラガールたち。歓迎のレイをかけられた瞬間から人はアロハ・スピリッツの虜になる。上の写真は、R&Rの兵士たちをハワイへと誘う広告。(サンサーフ所蔵写真)

柄合わせの妙が本物の愉しみとなる


アロハシャツの良し悪しはなかなか素人には見分けることができないが、ひとつだけ、ポケットにかかる柄がちゃんと本体と“柄合わせ”になっているのかどうかを確かめるといい。もちろん、絵が揃っているのは製作側がしっかり意識して作っている証拠。

アロハシャツ黎明期の1930年代の主流はオールオーバーパターン。40年代後半になるとそれぞれの柄が大きくなったボーダーパターンが人気。最盛期の50年代には大胆なデザインが増えていき、ホリゾンタルやバックパネルなどのパターンが生まれた。

↑上の写真をよく見て欲しい。ポケットにかかった“寶”の文字がちゃんと合うように、位置を決めて縫い付けてある。こういう心遣いができるのはやはり日本製品の素晴らしさ。メイドインジャパンに誇りが持てる瞬間でもある。同時にブランドのアロハシャツへの愛情が伝わってくるだろう。

左からアートヴォーグ、サンサーフ、ケオニ・オブ・ハワイの織りネーム。アートヴォーグは1950年代にカリフォルニアでハワイアンファッションを普及させた数少ない企業のうちのひとつ。サンサーフとケオニはいうまでもなく日本が誇る世界のアロハシャツ・ブランドである。

マヒリニ・スポーツウェア社は1952年創業の老舗アロハシャツ・ブランド。絵心があった日系二世のオーナーが自ら筆を振るったデザインが人気だった。ワットムルスは1913年創業の老舗ブランド。柄合わせの妙が本物の愉しみとなる。

吉田拓郎、坂崎幸之助(The ALFEE)オリジナルデザインのアロハ


吉田拓郎

ハワイ好きとしても有名な拓郎さん。2001年には小社からハワイの写真集も発刊したほど。拓郎さんのアロハシャツ美学は「シンプルな柄と着心地のいい素材のシャツが好き!」というもの。普通のアロハとは趣がまったく異なった、白地にハワイのモチーフを散りばめた一枚は、まさに吉田拓郎流のアロハ。モチーフは左腕にレフアの花、前身の裾にはロイヤルパームツリー、そして背中には拓郎さんが大好きなセクシーなサーファーガール。ケオニ・オブ・ハワイ・ブランドから登場。

吉田拓郎「ホワイト・ハワイアンシャツ」は数量限定生産。超貴重な楷書のサイン(拓郎さんはほとんどの場合崩した筆記体)が入って、これ以上はないほどレア感満載に。白蝶貝ボタンを採用。
●ケオニ・オブ・ハワイ

坂崎幸之助

芸能界きってのカメラ通、坂崎さんは写真撮影の腕もプロ級。大好きな爬虫類や野良猫の写真は、いろんなメディアで紹介されている。また、密かな着物生地のコレクションもあって、今回はそのコレクションの中にあった昭和初期のデザインを元に、愛らしい表情をした坂崎家の猫とヤモリ、そして愛用のカメラを配した坂崎デザインのシャツが完成。もちろんすべて坂崎さん自身の撮影。また“坂崎商店”の文字が入った自筆の織りネームにも注目したい。

坂崎幸之助「マル幸シャツ」は数量限定生産。ポイントは前身頃裏の生地の耳にもサインが入っているところ。ココナッツボタン採用。猫の表情がメチャメチャ可愛い。●ケオニ・オブ・ハワイ

拓郎&坂崎コラボ

拓郎&坂崎のコラボレーションは、昨年民放ラジオで第一位の視聴率を獲得した番組『オールナイトニッポンGOLD/毎週月曜22時~24時』における二人の、阿吽の呼吸そのもののような出来映え! 拓郎さん愛用のギブソンJ‐45と、坂崎さん愛用のマーチンD-45という二つの名機を背中、両胸、両袖に配し、ギターの撮影は、写真家としても活躍する坂崎さんによるもの。また、ギターと共に存在感のある柄となった楽譜は、二人が好きなバッハの「G線上のアリア」を配した。

コラボレーション「TAKUZAKIシャツ」アロハシャツ図柄のパターンはボーダー柄。背中の大きなギターの写真がポイントとなっている。もちろん、織りネームは吉田、坂崎両名を並べたスペシャル版。●ケオニ・オブ・ハワイ


おそらく50~60年代に撮影されたハワイアン・バンドの写真。ちゃんとアロハシャツを着用している。(サンサーフ所蔵写真)

「Carps up the Falls」ワットムルス・ブランドのネームも当時のまま再現した、レーヨン壁縮緬のオーバープリント。ワットムルスはインド系移民が創設したブランドで、当時から和柄を流行らせていた。●サンサーフ・スペシャル

「DRAGON&WARRIORS HELMET」1950年代初頭にデザインされたマヒリニ・スポーツウェアの作品を復刻。レーヨン羽二重素材の抜染なので素晴らしく発色のいいシャツになった。●サンサーフ

「MADAME PELE」ハワイの火の神「ペレ」を描いたバックパネル柄。バックパネルはアロハ黄金期の50年代に流行したデザイン。オーバープリントで周囲の葉のグラデーションが美しい。●サンサーフ・スペシャル

「HAWAIIAN WONDERLAND」こちらもマヒリニ・スポーツウェアの作品を復刻したもの。レーヨン羽二重素材で発色のいい抜染。抜染(ばっせん)とは生地を地染めし、柄の部分の色を抜染剤で抜くと同時に他の色で染め付ける手法。●サンサーフ・スペシャル

「TROPICAL FLOWER BORDER」トロピカル・フラワーのボーダー柄は、ハワイよりもカリフォルニアのブランドが好んでいた王道デザイン。アロハシャツらしいアロハ。●サンサーフ

「NAUTICAL DESIG
NS」1940年代後半、フロリダのロイヤル・パーム社がデザインした、単色のシャツ。レーヨン羽二重で抜染。懐かしさを感じるデザインだ。●サンサーフ


初出:ワールドフォトプレス発行『モノ・マガジン』2011年7月16日号


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  • 1982年より㈱ワールドフォトプレス社の雑誌monoマガジン編集部へ。 1984年より同誌編集長。 2004年より同社編集局長。 2017年より同誌編集ディレクター。 その間、数々の雑誌を創刊。 FM cocolo「Today’s View 大人のトレンド情報」、執筆・講演活動、大学講師、各自治体のアドバイザー、デザインコンペティション審査委員などを現在兼任中。

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