★今回おすすめのお酒★
サントリー100周年記念蒸溜所ラベル
サントリーウイスキー100周年を記念し、ものづくりの現場である蒸溜所のデザインをあしらった2023年限定デザインラベルのシングルモルトジャパニーズウイスキー4種類が発売されました。
記事を読みながら、日本のウイスキーの歴史を感じながらお愉しみください。
今年20023年は日本でウイスキー造りが始まってから100年という記念すべき年でした。サントリーではこれからの100年へ向けた取り組みを開始し、山崎蒸溜所と白州蒸溜所の改修も行われました。
そんな1年の締めくくりとして日本のウイスキーの歴史、そしてこれからについてお話したいと思います。
■日本人とウイスキーの出会い
日本には縄文時代から酒があったといわれています。
稲作が始まると米を使った酒が造られるようになり、奈良時代には日本酒の原型ができていました。
日本では五穀豊穣を願い神に捧げる物として、独自の酒文化が培われ、酒造りの技術が磨かれていきました。
酒造りに関する技術は、ヨーロッパよりも早く進化していた面もあるといわれています。
※詳しくは「Vol.20 歴史編:実はヨーロッパよりも先進的だった!? 日本酒の歴史」をご覧ください。
そんな日本に「ウイスキー」が登場したのはいつだったのでしょう?
ウイスキーが誕生したのは15世紀、日本では室町時代です。日本ではキリスト教宣教師などによって徐々に南蛮文化が入ってきていた頃です。当時の記録にはウイスキーが伝わったという明確な証拠はないですが、ワインなどのお酒が届けられていた事からも、この頃ウイスキーも日本に届けられていたかもしれません。
その後、ペリー来航から江戸時代の鎖国(1639年~1858年)が終わる頃には、ウイスキーが日本にもたらされた様々な記録が残っています。
日本に住むようになった外国人のために様々な物を海外から輸入する会社が作られました。それらの輸入品の中にはウイスキーも含まれていました。
日本人が欧米の文化や技術を学ぶために海外に出て行く機会も増えたため、ウイスキーに触れ、口にする機会も増えていきました。有名な話として、1873年に遣欧米使節団の一員だった岩倉具視が日本にスコッチウイスキー「オールドパー」を持ち帰り、明治天皇に献上したという事もありました。
■日本でのウイスキー造り
日本で本格ウイスキーを造り始めたのは、サントリーの創業者・鳥井信次郎氏です。
「日本人の手で世界に誇る日本のウイスキーを作りたい」という信念のもと、スコットランドでウイスキー造りを学んだ竹鶴政孝氏を招聘し、1923年(大正12年)日本初のモルトウイスキー蒸溜所・山崎蒸溜所が竣工しました。
1929年(昭和4年)4月1日には、日本初の国産本格ウイスキー「サントリーウヰスキー(通称“白札”)」が発売され、1934年(昭和9年)には、禁酒法が解禁されて間もないアメリカにサントリーウイスキーを初輸出、1936年(昭和11年)には竹鶴政孝氏によってニッカ余市蒸溜所(北海道)が稼働を始めました。
こうして始まった日本のウイスキー造りでしたが、すぐにウイスキーが日本人受け入れられたわけではありませんでした。「西洋の煙臭いウイスキーは日本人の口には合わない」と言われる中でも、研究者たちはスコッチウイスキーの模倣ではなく、日本の風土で日本人の味覚に合うようにウイスキーを研究し改良を重ねていきました。日本人の勤勉さが日本のウイスキー造りを支え続けていたのです。ウイスキーの需要を増やすために手軽に購入できるウイスキーが必要になった時にも、こうした努力の中で造り続けられた原酒があったからこそ「角瓶」「トリス」「ハイニッカ」を生み出すことができたのです。
第二次大戦後、街にはウイスキーを気軽に楽しめるバーが増え、ウイスキーはどんどん身近な存在になり普及していきました。日本の高度成長期とも重なりウイスキー需要は伸び続けました。和食とウイスキーを組み合わせるいわゆる「二本箸作戦」などによってウイスキーブームは加速していきました。
しかし、日本のウイスキー業界は1983年(昭和58年)をピークに、冬の時代へと突入し、2008年までの25年間で、市場は約5分の1にまで落ち込んでしまいました。
■世界が認める「ジャパニーズウイスキー」に
低迷を続けていた日本のウイスキー市場の中でも日本のウイスキー造りは進化を続けていました。
ウイスキー造りには多種多様な原酒が必要な事に気づき、新たな蒸溜所を建設したり、様々な蒸溜器を取り入れたり、様々な樽による熟成についても研究を重ねました。海外の蒸溜所と提携や買収することで、新たなノウハウや原酒も手に入れてきました。
その結果が現れたのが、世界のコンテストの舞台でした。
2001年にメルシャン「軽井沢ピュアモルト12年」がIWSC金賞受賞、「ニッカシングルカスク余市」がウイスキーマガジンBest of Bestを受賞。2003年にはサントリー「山崎12年」がISC日本初の金賞受賞。その後数々の日本のウイスキーが世界のコンテストで受賞を重ね続けています。
これらの受賞により日本のウイスキーへの注目度が高まりました。世界中で「ジャパニーズウイスキー」の価値を高めた大きなきっかけとなった事は間違ありません。
■これからの日本のウイスキー
下降していた日本のウイスキー市場は、サントリーのハイボールブームなどをきっかけに2008年以降上昇に転じました。
日本国内で稼働していた主なウイスキー蒸溜所は7カ所になっていましたが、その後クラフト蒸溜所とも呼ばれるウイスキー蒸溜所が全国に出来はじめました。現在では日本国内にあるウイスキー蒸溜所数は100ケ所に迫る勢いです。海外輸出されるウイスキーも増加し2020年には日本の輸出酒類の中で清酒を抜いてウイスキーが第1位になりました。
そして、何年か前から日本のウイスキーの価格が高騰していることが度々ニュースになっています。日本のウイスキーが認められたという嬉しい面もあるのですが、主な理由は“需要と供給のバランス”だということを理解して、ブームに惑わされずにウイスキーの価値を冷静な目で見る必要があると感じています。
ウイスキーは、工場で作る製品とは違って造るために時間が必要です。すぐに増産できるものではないからこそ、希少性から価格が高騰してしまう場合があります。残念ながら本来の価値から離れた投資商品として見られてしまうこともあるのです。
そんな中、2021年に日本洋酒酒造組合によって「ジャパニーズウイスキー」という用語に関する自主基準が出来ました。現在の日本のウイスキーを取り巻く様々な課題や、ジャパニーズウイスキーとして次の時代へ向けて進化を遂げるために、非常に大きな一歩だったと思います。
世界に認められる商品となるためには、スコッチウイスキーの法規定やワインの格付けのように、明確なレギュレーションを作り運用していくことがとても重要だからです。
ウイスキー造りが始まった1923年から100年間で成熟してきた日本のウイスキー造りは、これからの100年でまた新たなフェーズを迎えるでしょう。
先人達の努力と研究開発の成果を引き継ぎ、日本の水質、四季のある気候、日本人ならではの勤勉さや研究熱心さによって、ジャパニーズウイスキーが進化し続けていことを心から願っています。