東京初開催のメモリアルイヤーイベント
「ASTON MARTIN ARCADIA」はAPAC(アジアパシフィックエリア)のアストンマーティンオーナー向けに2年に1回開催される参加型イベント。それが東京で初開催された。今年はブランド110周年ということもあり、同じように歴史を感じる東京・浅草の金龍山浅草寺が初日の会場になった。本堂へ続く宝蔵門では2台のマシンが出迎えてくれた。
イベントは初日のコンクールデレガンスに始まり、2日目は場所を富士スピードウェイに移し、チャリティ・オークションや記念イヤーということでのガラ・パーティが催され、最終日は同コースを走行する盛り沢山の内容。そしてパーティ以外はファンやオーナー予備軍といった一般公開も。
初日の午前中は生憎の雨模様。それでも貴重なヒストリックモデルを含めて70台以上が浅草寺に集まり、お寺以上に周りの視線を独占した。
英国紳士御用達ブランド
そもそもアストンマーティンってどんなメーカーなのか。名前は知っていてもなかなか見る機会もないし、という皆さま。簡単に紹介すると英国の自動車メーカーになる。派手目なイタリアンスーパースポーツカーブランドに対して「落ち着いた」雰囲気のイメージが先行する謎多きブランド感もあるのがアストンマーティン。
そしてまったくクルマに詳しくない趣味人には映画「007」シリーズのクルマという方が知名度が高く、いわゆるDB5などボンドカーの車名で世代がわかってしまうのだ。また英国王室御用達のロイヤルワラントを持つことも考えると英国紳士だけではなく、諜報部も御用達(?)なメーカーがより神秘性を高めているのかも?
そんなアストンマーティンの創業は1913年。つまり今年で110周年を迎える老舗ブランドで、そのクルマ作りは品質と美しさの追求という。またアストンマーティンはアストンマーティンで世間一般的に通用するが、正式名称はアストンマーティン・ラゴンダという。この「ラゴンダ」まで言うと、かなり通なオトナの趣味人として一目置かれるかもしれない。創業者はロバート・バムフォードとライオネル・マーティンのふたり。
彼らの作った1号車はイギリスの南東にあるアストン・クリントン(競走馬ではない)で行われたヒルクライムレースで大活躍し、ドライバーを務めたマーティンと地名からアストンマーティンの名前が誕生した。クルマの性能は群を抜き、1924年の競技ではブガッティを抑え表彰台を独占している。
ブランドの大きな転換期は企業家のデビッド・ブラウンが買収した1947年だろうか。この頃には超高級車ブランド、ラゴンダも傘下に。ラゴンダにはかのベントレーの創始者でもありエンジニアでもあったW.O.ベントレーもおり、この買収劇は1粒で2度美味しいグリコのオマケ付きのようなモノだった。これ以降は車名にデビット・ブラウンの頭文字DBが用いられるようになる。
余談で恐縮だが、アストンマーティンは1960年代から90年代にかけて4ドアモデルにラゴンダのネーミングに使ったクルマを発表している。
初モノづくし!
さて、「ASTON MARTIN ARCADIA」である。ジツはこのイベントは初モノがいっぱい。まず東京開催が初。そして浅草寺での車両展示も自動車メーカーとしても初。さらに110周年記念の110台モデル、Valour(以下ヴァラー)も日本初公開、ブランド初のミッドシップエンジンのハイブリッドカー、Valhalla(ヴァルハラ)の展示などなど初モノが勢ぞろいなのだ。
「限定」という言葉にクラっとくる皆さま、ヴァラーはこのご時世貴重な3ペダルを持つ6MTのモデルでエンジンも保護種(にしたい)5.2リッターV12を搭載。このパワーユニットをツインターボで武装し715PSを誇る、スーパーなシロモノ。
濃厚イベントアストン風
2日目にはオーナーズパレードを経て場所は富士スピードウェイに。チャリティ・オークションではレプリカながらも2024年のF1マシンが2900万円で落札(!)されたり、イベントのためだけにオーストラリアから飛行してきたアストンマーティン仕様のヘリコプター(エアバス・ACH130)の姿を見ることができたりと話題性も抜群。
しかし何と言ってもスポーツカーとしての素性を楽しむのは最終日のサーキット走行だろう。オーナーは普段使えない馬力を解放し、世界的にも長い富士スピードウェイの約1.5kmのホームストレートを疾走するなどイベントを堪能していた。オーナーからファンやオーナー予備軍まで飽きさせない盛り沢山のプログラムが用意されたイベントだった。
アストンマーティン
問 アストンマーティンジャパン 03-5797-7281(代)