俳優の永瀬正敏さんがカメラマン若木信吾さんと語り合う「一刻者」対談 ~写真の魅力・好きなお酒~

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俳優・写真家として活躍する永瀬正敏さんと写真家で映画監督でもある若木信吾さん。約30年前の雑誌撮影で波長が合ったというふたりが、芋焼酎「一刻者」の撮影をきっかけに、好きな写真、旅、お酒をたしなむ豊かな時間について存分に語り合った。対談中には、永瀬正敏さんが写真家として若木さんを撮影。そのこだわりの作品にも注目してほしい。

写真と映像の世界。それぞれの魅力とは?

永瀬正敏(以下、永瀬) 今回、若木さんには「一刻者」のキービジュアルを撮影していただきましたが、実はこれまでも何度か撮ってもらってますよね。

若木信吾(以下、若木) 最初は確か1996年か97年の雑誌の撮影で、そこから30年の間に何回か撮らせてもらいました。雑誌の撮影は、広告と違って台本がないので現場で思いつくまま、相手にこうしてくださいとお願いするんですが、永瀬さんに「NO」と断られたことはこれまで一度もない。俳優界の大スターに思いつきで言ったことをやってもらえるのは、すごく嬉しかったです。そういうことを面白がれるのはなぜだと思いますか。

永瀬 基本的にいろいろチャレンジがしたいタイプで。あと、出口を考えないことに面白さも感じているんだと思います。若木さんは映画監督もされていて、写真と動画の撮影を同時にやったこともありましたが、写真と映像の違いは何か感じていますか。

若木 どちらも物語性があるんだけど、写真の場合は静止しているものを見つめることで、物語を自ら発見していく。映像の場合は、次から次へと目の前のものが変化していくので、それを追いかけながら、相手から物語を見せてもらえるという感じでしょうかね。

わかりたい、知りたいから、やり続ける、撮影も芝居も

若木 永瀬さんが写真を撮り始めたきっかけは何ですか?

永瀬 80年代頃って「役者とは、アイドルとはこういうもの」というカテゴライズがあったけれど、そのうちにアイドルも自分で詞を書き始めたり、レコードジャケットのビジュアルに意見したりしたじゃないですか。僕も求められることに応えるだけではつまらなくなって、写真を撮り始めたんです。

あともうひとつ、祖父が戦前戦中、写真館をやっていたんですよ。あるとき実家の倉庫から祖父が書いた撮影の研究ノートが出てきて、「ああ、おじいちゃんは本当に写真が好きだったんだな、僕もちゃんとポートレートを撮れるようになりたいな」と思った。祖父といえば、若木さんもご自分の祖父をモデルにした写真集『Takuji』を出されていますね。

若木 デビュー作ですね。1970年代って「家族写真を自分たちで撮りましょう」という一大ブームが起きたんです。うちも一台カメラを買ったんだけど、それでおもちゃのひとつみたいな感じで撮り出してみたら、すごく楽しくて。絵も描くし、ラジコンやプラモデルもよくつくったけれど、自分の思うようには完成しない。でも、写真だけは思い描くものが出てきたんですよね。

永瀬 その後、アメリカの大学の写真学科に進学されて。

若木 入学試験のポートフォリオも祖父の写真でした。でも、授業で有名な写真家の作品を見たら、兄弟や親など家族を撮った写真が多くて、実はこちらが本物の被写体だったのだと気づかされました。しかも、祖父は演技ではないけれど、カメラに対してコミュニケーションしてくれる。

永瀬 わかります。うちはお正月に親戚中が集まって記念写真を撮るのが恒例だったのですが、祖父は一番よい服を着て、帽子をかぶって出てきたりする。そんな祖父を待つ時間が、僕はとても好きでした。

若木 僕も、世代の離れた、僕たちとはぜんぜん違う生き方をしている祖父に興味がありましたね。何か越えられない一線があり、それが何なのか知りたくて撮り続けていたんだと思います。

永瀬 「わからないから続ける」というのは、ひとつのテーマかもしれないですね。お芝居もそう。正解がない。これができたらOKというのは、永遠にないんですよ。特に僕は劇団出身者でもなければ芝居の訓練を受けたこともなく、いわゆる基礎がないので、毎回ゼロから始まるんです。

「いま、この瞬間」が本物に感じられる写真

永瀬 一般の人を撮るときと、今回の「一刻者」のキービジュアルのようにきっちりした世界観をつくって撮るときの、心構えの違いはありますか。

若木 「一刻者」の撮影に関していうと、『本を読みながら「一刻者」を飲んで味わう』というテーマがしっかりとあったので、表情を含め、俳優・永瀬正敏にお任せしました。ただ、その空間に永瀬さんが入ってきたときの現場づくりには気を配りましたね。ファインダーを覗くと、「なんか来たな」とか「まだ入れていないな」というのはわかります。カメラマンは「いま、この瞬間は本物なんだ」と信じられるときにシャッターを切れるかどうか、それが勝負です。

永瀬 動画撮影の合間にキービジュアルの撮影というのも大変だったのではないかと思うのですが。

若木 確かに映画でもスチールカメラマンさんの立ち位置って、本当に難しいですよね。

永瀬 本編がデジタル撮影だと、メインビジュアルも本編の映像から1コマ抜いてつくる場合もあるんですが、僕としてはちゃんとスチールカメラマンに撮っていただきたいなと思うんですよね。

若木 コマ抜きするとブレていたり、ブレていないことだけを基準に選ぶと表情があまりよくなかったりしますからね。

カメラが旅の出会いを誘う

若木 永瀬さんが写真を撮っていて一番嬉しいのはどういうときですか?

永瀬 撮らせていただいた方から「ちょうだい」と言われるときですね。若木さんは?

若木 僕は撮っていればずっと嬉しい(笑)。新しい写真が撮れたときとか、いままでになかった世界の見方が写りこんだときは特に。

永瀬 旅先にはカメラは必ず持参されますか?

若木 カメラがないとダメですね。あと、フィルムを入れてないと駄目。永瀬さんは何か旅の思い出はありますか。

永瀬 撮影のために旅をすることはあまりなくて。海外だと、仕事で呼んでいただいて、そのときにカメラを持参して、出会った人を撮影することが多いです。

若木 カメラがあったからこそ、誰かと仲良くなれたというのはありますか。

永瀬 旅先だとそれで助けられたというか、コミュニケーションがとれるところはありますね。特に昔は「プリントして送るね」とか言えましたし。僕、撮りたかったのに撮れなかったという後悔がけっこうあるんです。勇気がないというか、まだ僕は「撮らせてください」となかなか言えない。

若木 それは僕も難しい。あんなに近くにいたのに、ひと言でよかったのに、なぜ言えなかったんだろうと。そういうことが多いですね。

写真家永瀬正敏さんが若木信吾さんを撮る

対談の最中、永瀬さんは、バック地の前でカメラを構える若木さんのポートレートを撮り始めた。1分ほどシャッターを切ったあと、次は床に座った写真を撮らせてほしいと提案。若木さんが座ったところで「若木さん、ひとつだけお願いごとがあって、あまり下を向くと顔が見えなくなるので、ちょっとだけ上を向いてください」と声をかけた。若木さんが自前のカメラのフィルムチェンジをする姿は、大きな子どもが大切なおもちゃをいじっているようだった。永瀬はカメラを手持ちに替えて撮り続け、最後にはふたりが互いにカメラを向け合った。

Photo by Masatoshi Nagase

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