追悼企画! 芸術論? 好みの問題? カーデザインの巨匠ガンディーニとピニンファリーナ

もはや禅問答!?

去る2024年3月13日、カーデザイナーのマルチェロ・ガンディーニが、イタリア・トリノで逝去。また、ピニンファリーナ・グループ会長で自動車デザイナーのパオロ・ピニンファリーナも4月9日に65歳でこの世を去ってしまった。相次ぐ訃報に偉大な故人を悼む声も増えてきている。そこで今回はカーデザインの巨匠たちを追悼するとともに彼らの偉業を振り返ってみたい。

その昔、某メーカーのデザインチーフにインタビューした時に禅問答のごとく「カーデザインとは何ぞや?」的な質問をしたことがある。その時の答えは「時代時代のデザインの流行り廃りもありますが 、私はクルマを見た時にクルマのキャラクターが伝わるようにしました。高級車ならば高級感を出すような丸みをうまく使ったり、SUVなら力強さやワクワク感が伝わるよう、エッヂの効いたラインを使ったり……」というような話だった。う〜む。これでは禅問答のようになってしまう。

一目見たときに「●●のクルマ!」とわかるようなデザインアイデンティティというのはボンクラな筆者でもわかる。アルファロメオの盾型グリル(スクテッド)やBMWのキドニーグリルは特に有名だし、BMWのソレはフロントグリルに穴を持たないEVにもプリント柄を使ってでもデザインに組み込むほどブランドデザインの象徴になっている。

デザインランゲージを持つ国産車としてはレクサスのスピンドルグリルが有名だ。今やそれがボディ全体で表現するスピンドリボディに進化している。またボディの話ならばポルシェも忘れてはならない。たとえSUVでもイメージリーダーの911のシルエットを感じさせるモノにしている。

ギリシャとローマと芸術家=カーデザイナーの法則?

カーデザインの巨匠は多くいれど間違いなく試験に出るふたりといえば、マルチェロ・ガンディーニとピニンファリーナだろう。両者のデザインしたクルマはもはや美術品並に扱われることが多い。またよく言われるのが、ふたつのデザインは古代ギリシャと古代ローマに例えられる。力強さを全面に押し出すギリシャ彫刻に対して後者は柔らかな曲線も多用するモノも多い。神話も男性の神々が多く登場するギリシャに対してローマは女性の神々の姿も多い。なるほど。カウンタックの力強さに対してフェラーリのBBは曲線も多く見られる。そういうことなのかもしれない。

イタリアの自動車文化が生み出したモノ

イタリアの初期の自動車メーカーはエンジンやシャーシを製造し、 デザイン工房でもあるカロッツェリアがそれらに自分たちがデザインし作り上げたボディを架装するのが一般的だった(もちろんメーカー謹製もあったが)。そしてどうよオレのクルマ、と有閑貴族層が見せびらかしたイタリア北部のコモ湖での優雅さを競うコンクール・デレガンスは有名。代表車を挙げるとアルファロメオ6Cなどがある。同車は同じ名前のクルマなのに同じデザインのモノはないと言う世界で、それを支えてきたのがカロッツェリアの存在だ。つまり当時の自動車業界にはカロッツェリアは必要不可欠だった。

自動車の量産体制が確保されるようになると、カロッツェリアはデザインを提供するようになってきた。そこで名を馳せたデザイナーがガンディーニとピニンファリーナなのだ。

ピアニストになったかもしれないガンディーニ

1938年トリノ生まれ。彼の父はなんとオーケストラの指揮者で、ガンディーニをピアニストにしたかったらしい。彼が27歳の時にカロッツェリアでもあったベルトーネの門を叩き、デザイナーとして歩み出した。このベルトーネも試験でよく出るので赤丸をつけていただきたいワードだ。しかも彼と同時に在籍していたのは、後のイタルデザインの創業者でもあるデザイナーのジョルジェット•ジウジアーロその人。よく言われるランボルギーニ•ミウラはジウジアーロがデザインしたのか、ガンディーニがデザインしたのか、という飲み屋で熱く語られる話があるのだが実際のところは、ジウジアーロの仕事を引き継いだというのが現在の見方らしい。

1968年に発表されたミウラの後、彼の作品としてもっとも有名なクルマが1974年に発表されたランボルギーニ・カウンタックだ。同時期に発表されラリーシーンを席巻したランチア・ストラトスも忘れてはイケナイ。この2台は完全にデザイン最優先に感じるけれど、ジツは乗降性を考えての上に開くシザースドアやストラトスのエンジンフードの開き方などスポーツカーとしての機能性を持たせたり、エンジン位置などを考えたりしたデザインだったと言われている。余談だがカウンタックで採用されたスーパースポーツカーのアイコンでもあるガバっと上に開くシザースドアは後の彼の作品ブガッティEB110などに受け継がれている。

1979年にベルトーネ社から独立。彼の作品はスーパースポーツカーだけと思われがちだがシトロエン・BXやルノー・5(サンク)、初代のBMW・5シリーズ、4世代目のマセラティ・クアトロポルテなど実用的なクルマも手がけている。先鋭的デザインを積極的に採用したシトロエンもBXのデザインには驚愕したエピソードも。また1989年に発表されたマセラティ・シャマルや前出のクアトロポルテ(1994年)はリアの斜めにカットされたホイールアーチやボディ後部を切り落としたような力強いデザインはカウンタックに通じるモノだ。

彼の晩年はスズキ・ワゴンRを日常使いしていたのは有名なエピソードで、今年の1月にはトリノ工科大学から機械工学の名誉学位が授与された。その2カ月後に永眠。

感謝と敬意を込めたイベントも

4月に幕張メッセで開催されたクルマを超えたクルマ時間を提唱する「オートモビルカウンシル」では当初ピニンファリーナを扱った主催者企画展を予定していたが、今年3月のガンディーニの逝去を受けて急遽企画を変更した。なおピニンファリーナの企画展は翌年以降に持ち越されている。

会場にはガンディーニの代表作が迎えてくれ、その眺めは壮観だ。まさに彼のデザインは時代や時間を超越していた。

小さい巨人となったデザイナー

ガンディーニと並ぶもう一人の巨匠は1893年に生まれ1966年に没したバッティスタ•ファリーナ。そうイタリア最大のカロッツェリア、ピニンファリーナの創始者である。

1930年にピニンファリーナを設立。ピニンファリーナの「ピニン」はイタリアの方言で小さい子供を意味し、バッティスタの愛称でもあった。ピニンファリーナといえばフェラーリのデザインで有名で、その最初のモデルは1952年発表のフェラーリ212。

彼が亡くなった後もデザイン工房としてのピニンファリーナは残り、美しいクルマを数多くリリースしている。ファンの間でも傑作の誉高いフェラーリ・328は今やコレクターズアイテムになりつつある。

日本車も多く手がけている。齢50に近い筆者の年代に突き刺さるクルマは、やはり1984年デビューのホンダ・シティカブリオレではないだろうか。

同車のBピラー根元にはキチンと「ピニンファリーナ」のロゴが入っていた。なお噂の域をでないけれど、通常ボディにも入れてもいいよ、と言われたがロイヤリティの問題でホンダがカブリオレだけで、と言ったとか言わないとか。このロゴはそういったオトナの話を除けばピニンファリーナ工房で設計、製造されたクルマには必ず付くけれどデザインだけの担当だと付かない、らしい。例えばピニンファリーナが手がけたプジョー・205や405にはロゴが入っていない。

また興味深いのは4代目マセラティ・クアトロポルテがガンディーニのデザインに対して5代目のそれはピニンファリーナによるモノだ。そしてイタリア最大のカロッツェリアはクルマだけでなく電気機関車やグラス、ヨットやコーヒーメーカーなどのデザインも手がけ、2005年のトリのオリンピックの聖火台も同工房のモノ。

忘れてはイケナイあの人も

ピニンファリーナ=イタリアのイメージが強く、スタッフもイタリア人だけと思いがちだが、奥山清行さん(ケン・オクヤマ)もピニンファリーナ出身だ。1995年に入社し2006年に退社しているが、一躍彼の名を広めたのは2002年のフェラーリ創業55周年を記念したスーパースポーツカー、エンツォ・フェラーリだ。その後独立した彼は北陸新幹線やヤンマーでトラクターをデザインするなど現在も大活躍中だ。

  • 自動車ライター。専門誌を経て明日をも知れぬフリーランスに転身。華麗な転身のはずが気がつけば加齢な転身で絶えず背水の陣な日々を送る。国内A級ライセンスや1級小型船舶操縦士と遊び以外にほぼ使わない資格保持者。

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