1987年にデビュー。3枚のアルバムを発表して解散したバンド「千年コメッツ」が35年の時を経て復活! 7月12日にライブ決定で担当ディレクターに「あの頃」を取材したぞ!(全3回の第1回目)


3月31日の「千年コメッツ 復活前夜祭」の様子。左が高鍋千年。右はギターのCHIE。

1982年、憧れのCBSソニーに入社した吉田晴彦さんは、ビートロック人気の時代にあって逆張りとも言うべき耽美的で美しいロックバンド「千年コメッツ」を送り出す。僅か3作で消えた彼らだったが、先ごろ35年の沈黙を破って遂に復活。あの頃の熱いロックの現場、リメンバー。

「美しいロック」を奏でるべく生まれた千年コメッツ

千年コメッツの中心人物となる高鍋千年の情報は、九州地区担当のSDからもたらされた。それは「博多の不死鳥(フェニックス)というパブで歌っている男性ヴォーカルで、声もルックスもいい」というものだった。吉田さんは回想する。

「ディレクターとなった私が初めて組んだアーティストが高鍋千年でした。より詳細な情報をSDからひきだすととりもなおさず博多へ。会い、話し、歌を聴き、ぜひやろうと意気投合しました。1984~85年頃のことです。これ以降、高鍋とは四六時中一緒だったので、周囲から同性愛とウワサされたことも(笑)。ちなみにSDというのはサウンド・ディベロップメントの略で、CBSソニー、EPICソニーのオーディションシステムのこと。このSD担当者が日本各地でリサーチャーとして活動して本社に報告を入れるのですが、彼らと個人的な関係ができると、いち早く有望株を教えてくれることもあるのです。要するに青田刈りですね(笑)。CBSソニーは松田聖子を大看板とするアイドル路線と、大瀧詠一、南佳孝らシティポップ/ニューミュージック路線に強かったのですが、これからはロックバンドの時代だという機運の高まりがありました。1983年には社内レーベルとしてフィッツビートを始動。聖飢魔Ⅱ、レベッカなどのスターを生み、よりアーティスティックなグラスバレー等をデビューさせることになります」

HARRY吉田
1958年札幌出身。音楽ディレクター。1982年CBSソニー入社。宣伝部に所属。1984年に第4AV事業部に異動し千年コメッツを手掛け、のちにXやラルク・アン・シエルに携わる。現在はビクター所属のSNARE COVERに注力している。

ソロヴォーカリストの高鍋千年が「千年コメッツ」としてデビューすることになったのも、そうしたバンド時代への適応解だった。リズム隊には伝説のバンド「カルメンマキ&OZ」の川上シゲとチャッピーを。メロディ隊には注目の女性ギタリストCHIEとキーボード海老芳弘ら若手を起用した。

「社の方針としてバンドでのデビューとなったのですが、高鍋はソロシンガーでしたからメンバーはこちらで見定める必要があります。そこで私にとって憧れのベテランとフレッシュな若手を掛け合わせて、他にないサウンドを作ろうと考えました。また裏方的なプレイヤー活動をしているように見えたベテラン達に80年代のスポットライトを当てたい、そんな不遜な思いを、胸に抱いてもいました」

明るく元気なロック観に
対する“もうひとつの選択”

1stアルバム『タイムレスガーデン』は1987年2月1日の発売。ウルトラヴォックス、デュランデュランといった英国ニューロマンティックスを継承したような耽美的ロックだった。バンドロゴにはサブキャッチとして「ROMANTIC REVOLUTION AWAKES BEAT RENEISSANCE」(ビートロックが呼び覚ますロマン革命)と宣誓された。そう、千年コメッツはビート全盛時代におけるオルタナティブロックだったのだ。

「バンドと言えば明るく元気でカッコイイものといった定石からすれば相当珍しいバンドだったと思います。中性的な高鍋のルックスやハスキーなハイトーンボイスとテクニカルなプレイ。歌詞世界もティーン向けの判りやすいものではなく、どこか抽象的。作詞家は『マイ・レボリューション』を書いた川村真澄さん、松本一起さんが中心で、3枚目になり高鍋自身も手掛けるように。デビュー当初は「美しいロック」という表現をよく使っていましたね」

1枚目にはゲストギタリストとして布袋寅泰、いまみちともたか等が参加している。

「両名とも大ブレイク直前でしたが、業界では有名な存在でした。ギターはバンドの顔で、だからこそ女性ギタリストのチエに声をかけたのですが、ギターに幅をもたせたいと考えてのこと。またアレンジャーは売れっ子で飛び回っていたキーボーディストの西平彰さんに依頼しました。バンドサウンドとしては独自性を追求しましたが、狙いは『ロマンティック+70 S’ロック+沢田研二』。沢田研二については西平さんがそのバックバンドであるエキゾティクスのメンバーだったことが背景にあります」

またMTV時代らしくプロモーションビデオも制作したが、これを林海象監督に依頼するというのだからトガっている。

「曲をフルコーラス使わなくてもいいから作ってほしいと依頼しました。シングル曲なのに10分と長尺で、制作費も大幅にオーバー。しかもオーダー通りフルコーラス使ってないという(笑)。80年代は日本の音楽シーンが爆発的に膨れ上がり、一見無茶でもひとつの可能性として稟議が通ったわけです」

完成した作品を引っ提げて社の企画販売会議でお歴々に試聴いただいた。企画販売会議とは2~3ヶ月先に発売される作品を試聴し役員が判断する場で、制作ディレクターにとっては最大の緊張を要する。

「デビュー曲の『ロンリーダンサー』を流し、「いいじゃないか」「丁寧に作っているね」という反応だったと記憶します。CBSソニー全社としてバンドに注力する中で、様々な可能性を求めていたのだと思います」

高鍋千年の謎めいた雰囲気を活かすため、インタビューも積極的には実施せず、プロモはMTVとライブ活動に絞り込んだ。「コメッツのことはライブに行かないと判らない!」とファンの飢餓感を煽りたかったのだ。音楽情報誌花盛りの当時にあって、逆張りの戦術だったのだが……。検索すれば何でも判る現在においてなお千年コメッツの情報が少ないのは、この情報戦略の影響といえるだろう。

「博多で歌っていた時から高鍋には一匹狼というかAOR指向、ダークで〝影〟な雰囲気がありました。特に〝影〟の要素は当時のバンドたちにはない魅力だったと思います。また高鍋の音楽嗜好としてはR&B、デヴィッド・ボウイやブライアン・フェリーなどのブリティッシュロック。千年コメッツではステージパフォーマンスにパントマイムを取り入れるなど、シアトリカル(演劇的)な要素も打ち出しました」

千年コメッツは87~88年に3枚のアルバムを発表した。多くのゲストが関わり西平がまとめ上げた1枚目。ライブによって自信と腕を磨いたメンバーによるバンドサウンドが魅力の2枚目。海外ミックスと元サディスティック・ミカ・バンドの今井裕プロデュースにより、スタジオワーク色が濃厚な3枚目。

INFORMATION
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「ライブもかなりの数こなしバンドの一体感も出たのですが、ヒット曲に恵まれず3作で幕を降ろすことに。当時のCBSソニーであれくらい予算をかけたプロジェクトなら1作/10万枚が必達目標でしたが、コメッツは1万枚かその前後だったんじゃないかな。高鍋はソロとしてもう1作発表しましたが、これが彼の本音に最も近い作品だったと思います。高鍋と懇意のミュージシャンで作った内省的な内容。残念ながらこれも売れませんでしたが、私自身の愛聴盤となりました。その当時の私は「X(のちX JAPAN)」に関わったことから高鍋のソロに時間を割けなかったものの、歌詞を7曲を提供しました(ハリー・バターフィールド名義)」

*  *  *

あれから35年。2024年3月、千年コメッツはオリジナルメンバーで復活の狼煙を上げた。ソロ作発表後しばし音楽活動から離れた高鍋だったが、その歌声は「あの頃のまま」のハイトーンで、奇跡を待ち続けたファンの中には涙する者もいたほど。これが打ち上げ花火ではない証拠に、次のライブも決定している。7月12日@渋谷だ。

あの頃、熱く燃えたリスナーたちが、いま再びオトナとして燃えている。単なる懐古ではなく、リスナーとミュージシャンの「いま」を共有できるシーンが静かに、しかし確かにできつつあるのだ。

千年コメッツ解散後、吉田さんはXやラルク・アン・シエル、電気グルーヴ等の担当を経て、足掛け19年いたソニーを退職。現在はソロアーティスト「スネアカバー」を手掛けている。今回の千年コメッツ復活のきっかけは、スネアカバーのバックにシゲ&チャッピーを起用したことだ。

最後にバンド名の由来を尋ねて本稿を締めることとしよう。

「千年(せんねん)は、高鍋の本名である千年(ちとし)からで、ロマンティックな響きだし音楽のイメージにも合うから活かしたかった。これを前提に考案したキーワードのひとつがコメッツ(=流星)。『ブルーコメッツみたいだネ』と言う人もいましたが、いずれにしろ心に引っかかるならいいだろうと、まあ開き直りですね(笑)」

7月12日は「千年コメッツ復活祭 第一章」。渋谷duo MUSIC EXCHANGEへ集合!

LIVE INFORMATION
7月12日、渋谷duoMusicExchangeにて「千年コメッツ 復活祭 第一章」が決定。チケットはディスクガレージ、チケットぴあにて。プロモビデオ爆音上映、スペシャルゲストあり。最新情報は公式Xでチェック。
@COMETS1000

全3回の第2回目「千年コメッツアルバムレビュー」へ続く

全3回の第3回目「担当ディレクター吉田晴彦さんへのQ&A」も公開中

文/モノ・マガジン編集部

  • モノ・マガジン&モノ・マガジンWEB編集長。 1970年生まれ。日本おもちゃ大賞審査員。バイク遍歴とかオーディオ遍歴とか書いてくと大変なことになるので割愛。昭和の団地好き。好きなバンドはイエローマジックオーケストラとグラスバレー。好きな映画は『1999年の夏休み』。WEB同様、モノ・マガジン編集部が日々更新しているFacebook記事も、シェア、いいね!をお願いします。@monomagazine1982 でみつけてね!

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