俳優/永瀬正敏 の「一刻者」特別対談 料理人/林亮平さんと語り合う仕事、料理、そして「一刻者の魅力」

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俳優・写真家として活躍する永瀬正敏が、各界の一流人を迎える対談シリーズ。2回目のゲストは、旅行ガイドや雑誌などでも人気の東京・南青山の日本料理店「てのしま」の店主・林亮平さん。「一刻者(いっこもん)」とお料理を楽しみながら、お互いの仕事や、お酒をたしなむ時間について語り合った。対談前に永瀬正敏が写真家として撮影した林さんの写真もお披露目するので最後までチェック!

絶品のお料理で「一刻者」とのマリアージュを楽しむ

林亮平(以下、) 今日は「一刻者」に合う一皿として「瀬戸内産イノシシの炭火焼き 唐辛子味噌添え」をご用意しました。お味噌には、僕のルーツである香川県の手島産の本鷹唐辛子を使っています。お肉に少しつけてお召し上がりください。

永瀬正敏(以下、永瀬) ありがとうございます。さっそく、いただきます。…お肉がとても柔らかくておいしいです。お味噌も素晴らしい。

林 「一刻者」は、芋の香りと甘みを贅沢に感じる焼酎です。その甘みが、炭火焼きにしたイノシシの脂に合います。あとは、このお味噌ですね。実は作って2年経っています。

永瀬 え? そんなに?

 はい。2年間熟成させているので「一刻者」の甘みや香りと相性がいいと思います。

永瀬 そうなんですね。そういう組み合わせは瞬時に思いつくものですか?

 思いつかないんです(笑)。天才ではないので、何か食べた時に「これ合うな!」とか…。

永瀬 そうですか(笑)。サツマイモも添えていただいて。

 揚げた芋と「一刻者」は合います。「一刻者」の味わいと香りは豊かなコクがあり、フレッシュ感のある香ばしい揚げた芋を足すと、重層感が出て芋の風味のふくらみを楽しんでいただけます。

永瀬 なるほど。では、遠慮なくもう一ついただきます。このお味噌、買って帰りたいくらいおいしいですね。
せっかくなので、乾杯をしましょうか? 乾杯!

 乾杯。ありがとうございます。

永瀬 さすがですね。やっぱり「一刻者」とお料理が合いますね。本当においしいです。

料理と映画にふたりがそれぞれ抱く情熱とは

永瀬 「一刻者」というのは、南九州の話し言葉で頑固者という意味なのですが、林さんは料理する時のこだわりはありますか?

 料理に対してのこだわりというよりは、お客様に喜んでいただくことを大切にしています。

永瀬 僕らの仕事と一緒ですね。自己満足よりも、映画を見た方にどれくらい伝わるかということが勝負なので。お客様の顔を思い浮かべて、いい食材を、おいしい料理をということですね。

 おっしゃる通りです。あと、ここはお店なので、お見送りの時に「今日は楽しかった」とお声がけいただけたりすると一番うれしいです。

永瀬 それはうれしいですね。どんなきっかけで料理人になると決めたんですか?

 小学校の卒業アルバムに、「コックさんになりたい」と書くほど、もともと料理が好きだったんですよ。大学に行き就職活動もしていたのですが、その途中でやっぱり好きなことを仕事にしたいと思い始めて。すぐに田舎に帰って、親に直接話して認めてもらいました。そこから18年くらい修業に入ったんです。

永瀬 18年!

 はい。京都にある老舗の料亭で修業を積みました。

永瀬 修業に入っても、すぐに包丁持たせてもらえることはないですよね。

 当時はまだ、昔ながらのしきたりが結構残っていたので、最初は掃除などの雑用が多かったです。まかないは作っていましたね。5年間は寝泊まりもお店だったので、大変でした。

永瀬 そこから独立して「てのしま」を構えられた。

 そうです。瀬戸内海にある「手島」という島が僕のルーツなんですが、いま人口が14人ほどです。

永瀬 え? 14人ですか? ずいぶん少ないですね。

 はい。祖先のお墓が手島にあり、父親がそこで生まれ育ったので、僕もお盆やお正月は手島を訪れていましたが、年々住む人が減り、もう商店もなくなりました。
このままでは手島がなくなってしまうのが誰の目にも明らかだった時に、修業先の仕事で行った海外で気づいたのは、料理には大きな可能性があること。日本の地方にも可能性があることです。以前から、手島をなんとかしたいとうっすらと考えていたので、これなら未来につなぐことができるんじゃないかと。

永瀬 お料理の力で。

 はい。島に仕事さえ作れば、そこに住んで生活することが可能になります。それを実現するために、逆算して東京に店を出しました。だから、次のフェーズは島でやります。

永瀬 素晴らしい考えです。それで、このお店の名前は「てのしま」なんですね。

 「てしま」という名前のお店がたくさんあることと、香川県には「てしま」が2つあり、もう一方は美術館ができて結構有名です。そちらと混同されると紛らわしいので、あえて「の」を入れて、「てのしま」にしました。
永瀬さんのご出身はどちらですか?

永瀬 僕は宮崎県の県南です。生まれ育ったと言っても15歳くらいまでで、東京の方が長いんですけどね。手島と同じで、昔にぎわっていたメインストリートが、以前ほど元気がないですね。でも地元の若い子たちが、町を再生しようと皆で頑張ってくれています。

 時々帰られますか?

永瀬 たまに帰ります。「一刻者」のアンバサダーをしているおかげで、宮崎空港のとてもいい場所に大きなポスターが貼ってあるんですよ。本当はその前を通りたいんですけど、妙に意識してしまって、少し避けて通ってしまうというか…(笑)

宮崎で「一刻者」を作っている蔵も見学しましたが、先ほど林さんの写真を撮影させていただいた時の感じとリンクします。蔵全体が、厳かな雰囲気なんですよ。料理人であり、職人である林さんの立ち姿と重なるものがありますね。

 恐縮です。僕も、お酒を造るところを見に行ったことがありますが、日本の場合、やはりお酒には神様がつきものですよね。永瀬さんがおっしゃる通り、神秘的な場所が多い。

永瀬 空気がピンと張り詰めていますよね。

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