ニューミュージック好きは必読! 話題の新刊『アーティスト伝説』著者・新田和長氏のインタビューを大公開するぞ!

新田和長。この戦国武将のような字面をもつ御仁初の書籍が話題だ。タイトルは「アーティスト伝説」。東芝EMIを独立しファンハウスを立ち上げた氏がその生涯を通じて交流したアーティストの姿を伝え、大きく変貌を遂げた現在の音楽界へエールを贈る一冊。

写真/青木健格 文/モノ・マガジン編集部

NEW BOOKS

アーティスト伝説
レコーディングスタジオで出会った天才たち

著:新田和長
定価:2200円+税
刊:新潮社
東芝EMI、ファンハウス、BMGファンハウス、ドリーミュージック各社でヒットを生んだ伝説のプロデューサーによる初の著書。天才アーティストとの交流を始め、世界で唯一弟子と認められた、かのジョージ・マーティンとの貴重な交友エピソードも掲載。必読。
新潮社 ☎03-3266-5111
https://www.shinchosha.co.jp/book/355811/

「執筆の動機は、まず、私が制作に関わった音楽、アーティストについて不正確な内容がネット上に広まっていること。それを当事者として正しておきたいということです。次に、私が入社した東芝も、私が立ち上げたファンハウスも、エルヴィスが所属したRCAやビートルズが所属したEMIも、もうない。何故レコード会社は離合集散し、音楽出版社が残るのか。それはもっともリスクをとって音楽を制作し熱心に広めてきたのが我々レコード会社だからです。私が入社した頃のレコード業界の売り上げは豆腐業界と同等の3000億円でしたが、社会的な影響力は大きいと自負していました。1998年のピーク時には6300億円を売上げましたが、昨年は僅か1800億円。ストリーミングのせい、と言う人がいますが本当にそれだけが原因だろうか。多様化の時代、国民的ヒット曲こそ出にくくなったとしても、これほど音楽が日常にあるのに売上は縮小し会社もなくなる。なぜだろう。

 かつて歌い手は単にタレントで、会社専属の作詞・作曲家の先生の歌を歌わせていただくという関係性でした。しかし海外に目を向ければ、歌手はアーティストと呼ばれ、会社やディレクターと対等に渡り合う。それは無から有を生み出すアーティストに対する敬意が制作側にあるからです。私はそういう環境をアーティストと創り、世界に向けていつかは音楽を輸出したいと願ってきました。そしてサディスティック・ミカ・バンドでは欧州7か国でのLP発売と英国公演を実現し、そのドラマー高橋幸宏さんは後にYMOで世界へ飛び出した。私がデビューに携わった小田和正さん、長渕剛さんは存在証明として歌い続けている。70年代日本の音楽革命が礎となりJ-POP誕生につながる、その“時代と場”を知る者として、いまの音楽界で活動する人の一助になればと思ったのです」。

 著者は1945年横浜生まれ。早稲田大学在学中にカレッジバンド「ザ・リガニーズ」を結成し「海は恋してる」のヒットを生んだ。卒業後はビートルズ担当ディレクター髙嶋弘之氏に誘われ東芝音楽工業へ入社。以降独自の嗅覚と探求心でヒットを連発。東芝エクスプレスレーベルで赤い鳥、サディスティック・ミカ・バンド、加藤和彦、オフコースにチューリップ等を手掛ける。1982年には邦楽第2制作部長として寺尾聡の大ヒットを導いたが、様々な理由から1984年に第2制作部員30名共々辞表を提出し、ファンハウスを設立。小坂明子、岡村孝子、永井真理子、辛島美登里ら女性シンガー旋風を起こし、小田和正『ラブストーリーは突然に』はプラチナディスクを記録した。

「70年代末にはソニーにはエピック、ビクターにはインビテーション、そのほか、フォーライフやキティ、アルファなど新興レコード会社が生まれ、また東芝の子会社としては如何ともし難い組織的な問題もあったため、部署ごと独立して生まれたのがファンハウスです」

 社名については、先達に勧められて読んだ論語の一節「是を知る者は是を好む者に如かず、是を好む者は是を楽しむ者に如かず」 =何事も楽しむ者には敵わないの意から「FUN」、そして会社の財産である社員が楽しく暮らせる家のようにという願いからHOUSE=ファンハウスと名づけられた。

 セルフプロデュース&マネジメント&プロモートが当たり前となった現在では~レコード会社との契約を経てプロデビュー~は王道ではない。自宅PCから世界へ。視聴回数〇億PVともの凄い数値を叩きだすアーティストもいるが、それでも『上を向いて歩こう』にはなれない。個の時代。多様性の時代ゆえかも知れない。昭和、平成の音楽業界に多くの足跡を残した新田和長氏初の著書「アーティスト伝説」は、現在の音楽界へのエールともいうべき音楽人の冒険記である。

TOPIC~新田さんの記憶に残る「この作品」

①市川染五郎「見果てぬ夢」

……思い出すほどに多すぎて困りますが、例えば、無名な時代の篠山紀信さんが、鎌倉の由比ヶ浜で撮影した市川染五郎さんです。気取らない茶系の暖かそうなセーターも、キリッとした表情も、背景の青い空も、音楽を包んでくれています。

②加山雄三「加山雄三通り」

……茅ヶ崎の海の象徴、烏帽子(えぼし)岩を光進丸で何周もしながら撮影しました。若き日の加山雄三さん、全曲の作詞をしてくれた松本隆さん、編曲をしてくれた瀬尾一三さんのスタジオでの姿も浮かんできます。

③赤い鳥「竹田の子守歌」

……東芝音楽工業の建て替え前の空きビルで、メンバーも含め全員で実物大の飛行機模型を作り、その中で撮ったのが「竹田の子守歌」のジャケットです。手作りの製作過程を含め強く記憶に残っています。

PROFILE
新田和長
/にったかずなが。1945年横浜生まれ。早稲田大学在学中にバンド「ザ・リガニーズ」として「海は恋してる」(写真)をヒットさせる。卒業と同時に東芝音楽工業に入社。多くのヒット曲を担当し1984年にファンハウスを設立。のちドリーミュージックでは平原綾香の代表曲「ジュピター」を世に送り出す。79歳。

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