より速くより遠くへと、
戦闘機の発達は第1次世界大戦を機に始まった。
これにより飛行服、
フライングクロージングとそれに付属する衣料の研究開発と
製造の歴史が刻まれてきた。
敵機と戦う前に、まず、寒さとの戦いがあった。
アメリカ陸軍は欧州派遣軍の航空隊が直面した問題から、
1917年に、航空機衣料委員会を設置し、
飛行服の開発と製造を統括させた。
この委員会は、
その後の飛行服開発において重要なファクターでありつづけた。
構成/ワールド・ムック編集部 文・イラストレーション/M.Kelly
第2次世界大戦でのアメリカ陸軍航空隊と言えば、この「A-2」ジャケット。パイロットであるエリート感がにじみ出ているスタイルだ。着用テストは1930年で翌年には制式採用されている。素材はホース・ハイドで染色はラセット・ブラン(赤褐色)。縫い目がパイロットにストレスを与えるのを軽減するため特徴的な背身の1枚革仕立て。これは後に兵士たちに格好なキャンバスを提供する。当時は高価だったジッパーを採用し、袖口と腰回りにウール・ニットを使う。その後のジャケットに継承される特徴を多く持つ。
【A-1】 Aは陸軍航空隊の夏季用の飛行服につけられたコード。1はその第1号であることを意味する。当時は、アメリカ陸軍省とアメリカ海軍省の双方が共に採用を決めていた。
【A-2】 「A-1」は柔らかな羊皮のケープ・スキンを使った。しかし、寒さに対しては満足することが出来なかった。こうした「A-1」の欠点などを踏まえて改良され登場したのが「A-2」になる。
【B-1】 1931年に陸軍航空隊は、それまでの冬季用カバーオール・スタイルから、ジャケットとトラウザーズを組み合わせるツー・ピース・スタイルになった。
【B-2】 「B-1」の胸にあったフラップ付きパッチ・ポケットはパラシュート・ハーネスとの不具合のため取り外したのが、「B-2」ジャケットになる。
アメリカ海軍が第2次世界大戦の開戦から終戦まで使かった主力ジャケットになる。陸軍より遅れをとった海軍は、その分細部まで非常にこだわった仕立てになった。素材も高価なゴーストスキン、襟を立てた時にしっかりとボタンで留められるボア付きの衿。シングル・ジップ・アップ・フロントで、角が丸くカットされ胸元までのウインド・フラップが付く。前身には、パッチ・アンド・ボタン留めフラップ付きポケットが左右2個付き、頑固なイメージを持つ。
アメリカ陸軍航空機衣料委員会が、もっとも力を入れて開発したジャケットになる。冒頭でふれた寒さ、とくに冬季高高度飛行をする搭乗員の生命維持こそが最重要課題だった。民間の探検家やエスキモーなどの衣料を調べることから着手して、約1年間かけて毛皮のライニングを施したレザーとウール製の電熱式ワンピース型フライング・スーツを開発した。幾度もテストを繰り返し「B-1」ジャケットと「A-1」トラウザーズが完成し、その後の改良型が「B-3」になる。
【AN-J-4】 第2次世界大戦末期、アメリカ陸海両軍が装備調達の合理化と予算節約のために合同で開発したジャケットになる。スペックは「AN-6553-AN-J-4」で、アメリカ政府モデルと呼ばれる。
【D-1】 第2次世界大戦当時、多くの下士官地上要員や航空機整備員用として作られたジャケットは、エアクラフト・メカニック用のタイプ「D-1」ジャケットとなる。デザインは「B-6」ジャケットによく似ている。
【M-422A】 後に「G-1」となるこのジャケットの特徴は背身のバイ・スイング、脇の下のプレートにある。袖、腰に使ったウール・ニットは付け根を強くしたリブラック編みにしてある。
【G-1】 「M-422」系のアメリカ海軍フライング・ジャケットは、スペック「55J14」の戦後モデルから、「G-1」フライング・ジャケットと命名された。これが長い歴史の始まりになる。
「B-10」は冬季用ジャケット「A-2」からの移行型で、摂氏-10度までの寒さに対応するインターミディエート・ゾーン用になる。「B-9」につづき布製である。1944年をはさんだ数年間は、めまぐるしくフライング・ジャケットのタイプ名が現われては消える時期だった。そこには、羊毛皮製に代わる新素材への切り替えもあった。当時開発が進んでいた化学繊維ナイロンの登場は、めざましかった。同時に、布帛でも、充分温かいジャケットの開発が進むなど、開発部門による成果が反映されていた。
「B-15」シリーズは、「B-10」ジャケットの実用テストから兵士たちの要望を取り入れて、素材などを改良したのが「B-15」ジャケットになる。酸素マスクなどの変更にともない改良されたのが「B-15A」ジャケットになる。「B-15B」ジャケットは、素材がナイロンになり酸素ホース・タブ、コード・タブ、ペン・ポケットが改良されたが基本型は同じスタイルである。戦後になって新生空軍の誕生で染色がエアホース・ブルーになったのが「B-15C」ジャケットになる。
アメリカ空軍が開発してきた歴代フライング・ジャッケトのなかで傑作中の傑作といわれるのは、インターミディエート・ゾーン用タイプ「MA-1」になる。1950年初めに採用されてから、1980年代まで長期に渡って製造された。そのつど改良が加えられたが、「B-15」シリーズからの大型ボア付き襟を外し、ニットを付けたときの基本スタイルは変わらず、ミルスペックは6度、7タイプのバリエーションが誕生している。