#22 ギネス
長年、日本に住んでいる英国人の記者が書いたコラムに「日本は本当に、世界中の美味しい食事が楽しめる国だけど、ビールだけは欧州のほうが、圧倒的に種類が多い」という一文があった。確かに英国のパブに行くと、聞いたこともないような種類のビールがたくさんあって、多彩で深遠な文化を感じることができる。初めて黒いビールを見たときの衝撃はその味を想像できずに戸惑ったという記憶にもつながっている。
ただ“黒”というのは、人間の味覚に豊かさや奥深さを連想させる色だ。まだ飲んだことのない『ギネス』の広告に掲載されている、グラスに注がれた黒から薄いベージュへのグラデーションを見て、喉の渇きを覚えた人も少なくないのではないか。いまでは多くのBARや酒場で黒地に白く抜かれた『GUINNESS』の文字を目にすることが出来る。日本で好まれる下面発酵のラガーとは違う上面発酵の個性的なスタウト・ビール。グラスに注がれたギネスを強い光に向けてかざしてみると、黒だと思った色が実は、深いルビーレッドだったということに気が付くだろう。奥深いこのビールの真実を探っていこう。
セントジェームスゲート蒸留所はギネス発祥の地。このアイルランドの名所は創業当時、使われなくなった醸造所を年間£45という破格の契約でリースしたのが始まり。驚くべきはその契約期間で、何と9000年のリース契約が結ばれているのである。
『ギネス』ほど泡にこだわるビールはない。
たとえば330㎖のドラフトギネス缶を振るとコロコロという音が聞こえてくるはずだ。これはフローティング・ウィジェットという内蔵されたボールの音で、実は樽詰めと同じ豊かでクリーミィな泡を家庭でも実現するための機能のひとつなのだ。業務用のサージャー缶にはこのボールは入っていないが、サージャー機という超音波発生器を使ってきめ細かい泡を作り出して提供するように指導が徹底されている。これほどまでに泡にこだわる理由は「美味しい」とか「見た目がいい」という当たり前の理由だけではなく、“創業以来そうやって飲まれてきた文化”だと理解すべきだろう。
創業は1759年。日本では江戸の町で平賀源内がようやく電気の研究を始めた年である。そんな昔からギネスはアイルランドの地で飲まれ続けてきたのである。ドラフトギネスのクオリティ・ポリシーは「パーフェクト・パイント」。グラスに注いだときの適切な泡の高さを表すクオリティサーブにこだわり、サージング(泡立ち)を確実に行う。フルパイント・グラスでサージングが落ち着く119・5秒後が最も適切な飲み頃なのだという。上面発酵のビールは大体、20~25℃で発酵させる。熟成期間も下面発酵に比べて短く発酵中に酵母が泡と一緒に浮いてくるという特徴を持っている。フルーティーな香りが個性的で紀元前から作られている。
パーフェクト・パイントとはアイルランドのアイリッシュパブで提供される、本場のドラフトギネスの味と質のことを指す。そのクリーミィな泡と味わいを家庭でも味わいたいから、サージングにこれほどこだわるのである。
グラスに注いだきめの細かい泡が滝のように流れるこの姿は「カスケードショー」とも呼ばれる。ギネスの正しい飲み方を知ることは大人のたしなみ、と考えるべき。パーフェクト・パイントで本当のギネスの味を知るのだ。
【パーフェクト・パイントの作り方】
ドラフトギネス(缶)の場合
①最低3時間は冷蔵庫で冷やす
②一缶全量が入る大き目のグラスを用意する。
この際、グラスは冷やさないこと
③平らな場所で一気にタブを引き、泡が盛り上がるのを待ってからグラスを傾け、静かに全量を注ぐ
④きめ細かい泡が滝のように流れるのを眺め、サージング(泡立ち)が落ち着くのを約2分待つ
⑤泡と液体が落ち着けばパーフェクト・パイントの出来上がり。
【ドラフトギネス缶でやってはいけないこと】
①缶から直接飲まない
②注ぎ足しは禁止(最初から全量をグラスに注ぎきる)
③グラスを冷やさない
④高い位置から注がない。泡についても決まりがある。まず、泡が多すぎるのは充分に冷えていないか静かに注げていないのが原因。
逆に泡が足りないのは冷え過ぎか放置し過ぎ、グラスが汚れている、グラスが冷え過ぎているのが問題。注ぎ方が悪いと起こるカニ泡にも注意したい。
英国における第一次世界大戦下の戦時特例法や米国の禁酒法などで売り上げを大きく落としたギネスは、イラストレーターのジョン・ギルロイによる有名な広告戦略で不況を脱することに。ズーキーパーの男やオオハシ(Toucan)を始めとするユーモラスな動物の絵の広告はここから始まった。
ギネストリビア
Toucan 幸運の鳥
ギネスの広告であまりにも有名な鳥は「トゥーカン」と呼ばれる。ジョン・ギルロイのこの広告でギネスは甦った。
ギネスブック
“ギネスに挑戦”とか“ギネス認定”とか、日本ではすっかりおなじみのギネスブックは、1951年当時のギネス社社長が「狩の獲物の中で世界一速く飛べる鳥はヨーロッパムナグロかライチョウか?」という議論になり、こういう事柄を調べて本にしたら評判になるのではないか、という発想から生まれたのが始まり。1955年に初版が発行された。現在はイギリスの出版社に版権が移っている。
ギネス® エクストラスタウト初期のオリジナルのギネスに近い、昔ながらのギネスで、熟成された味わいと香ばしさ、苦味からなるスタウト特有のテイストが人気となっている。アルコール分5%。
ドラフトギネス®缶フローティング・ウィジェットの働きで、樽詰めと同じ豊かでクリーミィな泡を家庭で再現することを可能にした。アルコール分4.5%。
一般には販売されていない業務用専用のサージャー缶。専用のサージャー機を使うガイドが入っている。
サージングこそギネスの命
写真はドラフトギネス®缶の中に入っている白い球体「フローティング・ウィジェット」。このプラスチックの球体カプセルの働きで、開缶時にサージングが起きる仕組み。中央の写真は、缶に記されているフローティング・ウィジェットの説明。意外にこんな玉が中に入っていることを知らなかった人も多いのでは?
ドラフトギネス缶用ではないが、写真下はサージングの決め手である、大樽サーバーの“スパウト”と呼ばれる注ぎ口の黒い部分。リストリクタープレートと呼ばれる部分の非常に小さな穴を通ると、サージングが起きる。
GUINNESS STORY
創業者のアーサー・ギネスが、ダブリンを流れるリッフィー川岸にあるセントジェームスゲート醸造所と水源を、9000年にわたって借り受ける契約を結んだのは1759年のこと。ギネスはここから創業の歴史が始まった。アイルランド国内だけではなく、早くから国外への輸出も開始し、19世紀前半には船による輸出が拡大した。世界に名だたるビールとして知られ始めたのはその頃から。
以降、徐々にその販売量を増やしていき、1883年には世界一の醸造所となるほどの規模になった。しかし、第一次世界大戦を契機にまず英国でビールのアルコール含有量を5%までとする戦時特例法が発令され、アルコール7・5%のスタウト・ポーターを主力としていたギネス社は大打撃を受ける。それから製造された英国基準の5%以下にアルコール度数を下げたギネスは消費者の不興を買い、販売が減少。間の悪いことに、重要な輸出先であったアメリカでは1920年から禁酒法が施行され、瞬く間に売り上げが落ち込んだ。
この危機に際してギネスが取った戦略は、広告であった。ジョン・ギルロイのイラストと「Guinness is Good for You」のキャッチコピーは、まだ広告など一般的ではなかった時代の消費者たちの心を捉えたのである。徐々に売り上げを回復したギネス社はやがて、1970年代にはパブ向けのドラフトギネスを缶という形態でも変わらぬ味わいで楽しめるアイデアをものにする。250年を過ぎたいまでもその進化は止まっていないのである。
初出:ワールドフォトプレス発行『モノ・マガジン』2011年12年16日号
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