3月31日、祝・89歳! 毒蝮三太夫スペシャルインタビュー

『モノ・マガジン』3-16号「明るい終活特集」掲載のインタビューを、3月31日の毒蝮さんのお誕生日を祝ってWeb公開します!

「ジジイ! ババア! 元気か?」の毒舌に歓声が上がる看板ラジオ番組『ミュージックプレゼント』は56年目に突入。自らがジジイとなっても現役バリバリのマムシさんに直撃取材してみると……「終活? 俺、嫌いなんだよ」と先制パンチ。おーっと、これは波乱の幕開けか!?

写真/青木健格(WPP) 文/テクノタク飯塚
協力/リバートップ(河崎実、河崎智子)

[終活はなんだか嫌だ “愁活” ってのはどうだ?]

何歳の時でも人を喜ばせてきた!
1949年に12歳で舞台デビュー。51年にラジオ東京として開局したTBSにも当初から出演。以後4分の3世紀に渡る驚異の人気者だ。

 数多のジジババと渡り合い、愛されてきたマムシさんに終活へのご意見を伺うべく、赤坂・TBSラジオのスタジオにお邪魔した。

「終活ね。やってるよ。週イチでトンカツ食ってる」といきなりのマムシ節に嬉しくなるも、実は終活があまりお好きでないご様子。

「俺もよく話はしてるけど、まず終活の “終” って字が嫌なんだ。用なしって言われてるようでさ。だから俺は、憂愁の愁で “愁活” にしようって提案をしてるんだよ」

 きっかけは仲代達矢さんの話で、人生の晩秋というけど、それだとどうも寂しいから、若者の青春と対になる “赤秋” がいいと、仲代さんの亡き妻の宮崎恭子さんが言ったのだとか。

「我々は紅葉の秋みたいに色づいた季節なんだって聞いてさ。秋の心で “愁活” はいいなと思ったんだ。愁いって言葉もなんとなく色っぽいし。何歳になろうと色気を持ってあの世までいける感じだろ?」

 死にゆく準備の終活ではなく、最後まで鮮やかに命を燃やすのがマムシ流 “愁活” というわけだ。

「お前らメディアの連中が、やたら終活って言うのも嫌なんだよ。断捨離して免許返納して、静かに死んでこうなんてさ。そんなの年寄りは役立たずだ、穀潰しだって言ってるようなもんだろ。60歳で定年したってまだ20年や30年は生きるのに、それが楽しくなかったら、なんで人間だよ」

 耳の痛いお言葉だが実際、人生100年時代、生涯現役などと言われる一方で、生産性なき者は死ね、というような嫌な空気も蔓延している。

「今は何もできないような年寄りだって、ずっと世の中にご奉公してきたんだからさ。この前も豪雪地帯で年寄りが雪下ろししてて亡くなったってニュースがやってたけど、それこそ優先的に援助してやんなきゃ。福祉国家としてあまりにお粗末だし、生きづらい世の中だって証明してるようなもんだよな」

サインは座右の銘!
サインに添えてくれた言葉は、実にマムシさんらしい “人を喜ばせる喜び” 。「 “面白きこともなき世を面白く” って高杉晋作の句もよく書くけど、これはスペースがねえからさ。横書きはちょっと珍しいよ」とのこと。

[十把一絡げはご勘弁 マムシは前進あるのみ]

 そうした様々な思いもあって、マムシさん自身はいわゆる終活らしいことはしていないという。

「俺は、たまたまこの歳まで元気で、おふくろや親父よりも長生きできたから、せっかくなら楽しく生きたいってだけ。自然の流れに任せたいと思ってる。ただ、俺みたいに頑丈なのばっかりじゃないからな。弱ってる年寄りを元気づけるためにも、喋れるうちは喋るのが大事な役割だとは思うね」

「学者が言うに、蛇は地上の生物としちゃ実にシンプルで、頭と胴体と尻尾だけ。それでも地上で生き残ってきたのは、やっぱりシンプル・イズ・ベストなんだな。しかも前向きで、脱皮してどんどん進化するんだ。今年は巳年で俺の年だし、ダッピー・ニューイヤーって年賀状に書いたよ(笑)。まぁ生まれは子年なんだけどね」

 子年と巳年、干支の回り年がふたつあるから人生も倍楽しいとマムシさんは笑った。さておき年賀状といえば、今年で「年賀状じまい」した人も多かったようだが。

「俺より年下の人からも随分、今年でやめますって来てたよ。それでいくと俺は、年賀状の終活にも反抗してんだな。絵も文字も筆ペンで手書きしてさ。コロナでヒマだった時に写経も始めたんだ。書くってのは、手も頭も使うからボケ防止にいいよ。でもまぁ世の中みんな電子メールになってくのかねぇ。スマホばっかり増えてさ」

般若心経の写経に勤しむ。達筆!
「コロナで始めて千枚は書いたね。今は全部覚えて見本なしだから写経じゃないんだ。だから3枚に1枚は失敗する」と言いつつ、取材で来た全員にお土産としていただきました。

 そう聞くといかにもアナログ派のようだが、実は3年前にYouTuberとなり「マムちゃんねる」を開設。ウルトラマンシリーズの共演者や親しい人たちとデジタル世界でトークを展開している。

あのゼットンを倒した男‼
『ウルトラマン』で演じた科学特捜隊のアラシ隊員は、ウルトラマンを倒したゼットンに立ち向かい無重力弾で倒した。「俺のおかげで地球は救われたんだ」と語るマムシさんに感謝! また『ウルトラセブン』で演じたウルトラ警備隊のフルハシ隊員も、ハンディドリル1基で原子炉を再稼働させた剛の者である。
毒蝮さんの雄姿!『ウルトラマン』『ウルトラセブン』を観るなら、円谷プロ公式サブスク「TSUBURAYA IMAGINATION」で!

「俺はガラケーしか持ってないしメールも自分じゃしないけど、補佐してくれるヤツがいるからさ。YouTubeには田原総一朗さんも出てくれてありがたいよ。でもSNSなんてずっと見るのはよくないね。俺の番組は生放送が多いし、苦情ばっかり見てたらさ……それで死んじゃった子もいただろ? 情報過多の時代、不要な情報をシャットアウトするのも終活かもな」

[俺はご飯になりたい 終活の極意もそこにあり?]

 予想外のデジタルリテラシーには驚いたが、やはり滅びゆくオールドメディアが好きだという。

「だから、こういう雑誌の取材も、なるたけ受けるようにしてんだよ(笑)。まぁ新聞もどんどん減ってるし、今はラジオもテレビもおかしくなってるよな。若いヤツがキャーキャーやってるばっかりで、年寄りが喜ぶ時代劇もなくなるし。だからVTRをよく観てるよ。俺は昔からプロレスが好きでさ。4時間ぐらいある試合も早回しすれば一気に観られるから、毎晩夜中の3時頃までずっとね。規則正しい不摂生ってヤツだな」

 なんとタイパ重視の時短視聴⁉ しかも朝は早くなるのがお約束かと思いきや、夜更かし三昧とは。

「映画なんかは間が命だから、早送りしないけどね。あとは落語もよく観てる。小三治、志ん朝、談志とかの名人芸は本当に何度観ても面白い。メシみたいなもんでさ、ご飯に飽きるってないだろ? 俺もご飯になりたいって思うよ」

 これはけだし名言! というか『ミュージックプレゼント』のマムシさんは、すでにご飯では?

「そうだな。俺がご飯で、行く先々の人たちがおかずになってくれてさ。カレーかけたり、カツや福神漬けものっけたりして、それでずっと続いてきたんだから、ありがたいよ。考えてみりゃ終活もご飯みたいなもんかもな。いつまでも炊き立てじゃないし、固かったり水っぽかったりもするけど、炒飯やおじやにしても食える。そういう、なんだかんだとかまってもらえる年寄りになるのが大事だよ」

 ここにきて一気に深くなるマムシ哲学。でも付け焼き刃でそうはなれないから、やはり若いうちから研鑽を積まなきゃダメだという。

「じゃなきゃ守ってくれる人もいなくなっちゃう。人徳だよ人徳。それには愛嬌とか笑顔、優しい喋り方とかさ。あと、嘘をつかない、いつでも誰に対しても変わらないことだね。それから、ある程度は人のために金も使わないと。これだって、こんなよくしてもらったら大層なお礼がいるだろ?(笑) それこそ阿吽の呼吸ってヤツで、AIにゃできないとこだよな」

 そう言って、この日応援に駆け付けた河崎監督夫妻のケーキを示すマムシさん……流石です‼

今年3月31日で89歳を迎えるマムシさん。一足先にお祝いしようと、本誌お馴染みのバカ映画の巨匠・河崎実監督夫妻も取材に同行。サプライズで特製ケーキをプレゼント!
「なんだミノルか。この前会ったばかりじゃねえか」とお二人とも嬉しそうなツーショット。河崎実監督作品『大怪獣モノ』出演時の話、実相寺昭雄監督の撮影アングルの話にも花が咲いた。

【悠里ちゃん曰く、オレのラジオは街角人情トークだってさ】(毒蝮三太夫)

[ピンピンコロリか老衰か 最期は天のみぞ知る……]

「105歳まで現役の医者だった日野原重明先生とよく仕事で一緒になって『マムシさんは年寄りを言葉で元気にする名医』なんて、おだててもらったんだけどさ。あの先生は、老衰は痛みをあまり感じないし苦しまないからいいって言ってた。俺もどうせ死ぬなら癌や怪我じゃなくて老衰がいいね」

 世間では、ピンピンコロリがいいなどと言われるが、突然倒れて亡くなるのは周りも困るという。

「それじゃ悲しむ時間もないよな。だから『人生八十、寝てみて七日』って本も出したんだけどさ。息を引き取るまで1週間あれば、みんな来てお別れも言えるだろ。それでコテッと逝くのが一番だよ。もちろんその前に、遺産なんかあれば誰に相続するとか、土地は誰に頼むとか話しとくのも大事だね」

 おぉ、まさにと思ったら、こんなのは終活でなく、普段からやっておくべきと言われてしまった。

「それより、うちのカミさんはひとつ年上でまだ元気だけど、メシや掃除、車の送迎は親しくしてるNPOの夫妻にやってもらってるんだ。俺たちは子供のいない夫婦だから、どっちか倒れたら老老介護。両方倒れる可能性もあるしな。そうなった時はすぐ来られるように、毎日昼には生存確認の電話がかかってくるよ。まぁ、こういうのは終活の一種なんだろうな」

 自分はいわゆる終活はしてないと言っていたマムシさんだが、奥さんのためには、いざという時の準備もしっかりとしていたようだ。

「とにかく、元気で楽しいジジイやババアが増えて、苦しまずに老衰で逝くってのはいいことだよな。将来ああなれたらって、見本になる年寄りがたくさんいないと少子化もますます進んじゃうよ」

 確かに、お年寄りが楽しく生きられる世の中なら、若い人や子供たちの未来だって明るいはずだ。

 最後に……老衰がいいというマムシさんだが、最期の瞬間はどんな風に思い描いているのだろうか?

「コロリ反対とは言ったけど、実際はわかんないよな。自分じゃ選べないから。板の上で死ねたら本望とも思ってないし、大谷翔平が打った瞬間にバタッと倒れてバッターアウト‼ かもしれない。まぁいつどこで死んでもいいやな、それまでの人生を全うできてれば。終活だけカッコよくやろうったってダメでさ。結局は普段が大事なんだよ」

profile
毒蝮三太夫 どくまむし・さんだゆう
本名・石井伊吉。1936年に大阪で大工の子として生まれ3ヶ月で東京へ。品川、浅草竜泉寺で育ち、子役から俳優に。『笑点』の座布団運びを機に改名。69年開始のTBSラジオ『ミュージックプレゼント』の毒舌で不動の人気を得て多方面で活躍中。

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